『ジルクォーザ』

 呼んだのは従弟であって自分ではない。
 その事実は大人たちにとっては無意味だった。呼んだ者の幼さと無知、呼ばれた者の年齢と育った環境を見て、彼女たちは後者の軽率が招いた結果であると下した。

 いや、この際、大人の事情はどうでもいい。子どもたちに大きな期待を掛けすぎる嫌いがある。
 問題は、お姫様だ。

「ばかばかばかばかぁ!」
 責められているのは、例によってジルだ。理不尽この上ない。
 強者に呼ばれれば無力な子どもはひざまずくしかなかった。たとえ強者にその自覚がなかったとしても。

「ジルのバカ! ウソつきぃ!」
 従妹の怒りは治まらない。
 大人たちから長々と説教されたあとでは疲れのあまり、宥めるどころか反論する気力もない。その態度を、裏切りと知り、罵りを覚悟した上でのことだと勘違いした従妹の罵声は留まるところを知らず、逆上のあまり失神した。従妹の母親が呼び戻されるほどの騒ぎとなった。



「ジル。大変だったね」
 久しぶりに会う叔母はジルを優しく抱きしめてくれた。ジルは叔母の腕の中で安堵する。
「ごめんなさい」
「おまえが悪いんじゃないんだ。謝る必要はないよ」
 叔母は事の次第を聞いたうえで、ジルに罪がないと断言してくれた。叔母の公平さに救われる。

「しかし、困ったね」
「叔母さん……」
「その歳で戦士か。最近の子はマセてるね」
 叔母は片目を瞑ってみせた。

 叔母は軽く言ってくれるが、事実は重い。
 姫と戦士は未成年。
 さらに姫は……姫どころか男だった。

「たまぁにあるんだよね。男の〈声者〉がうっかり戦士を選ぶってことが」
 つい先月、父親とともに里に来た従弟は、なんの力の片鱗も見せなかった。あまりに微力だったため、誰にも感じ取れなかっただけなのかもしれない。
 しかしそれがジルとの約束に興奮して力が高まり、〈声者〉の力が発現してしまったのだろう。その約束と言うのが、ただ愛称ではなくちゃんとした個人名で呼ぶというだけだったのだが、運悪く、ジルは従弟の戦士になってしまった。



 一族の中で〈声者〉と呼ばれる術者が生まれると、長候補として育てられる。
 能力に目覚めた従弟が長候補となるかというと、そうではない。長は必ず女なのだ。
 従妹は長候補だった。唯一の。

 ジルたち男は、成人して必ず一度は外に出て行かなければならない。戻る場合は、許可が要る。里に生まれた男とは、そういうものだ。
 そういった習慣のために、里の人間は半数以上が女で、生涯未婚を通すものも多い。外に出た女は滅多にもどってくることはない。
 それが重なりに重なり、現在、長候補はただ一人であり、戦士候補は二人だけだった。

 そして今回の事件で、戦士候補が戦士候補を戦士としてしまった。指名する側であるはずだった候補を残した。
 従妹が逆上するのもしかたがない。



 従妹のことは叔母に任せて、ジルは従弟を探しに出た。
 従弟は父親以外身内がいない。その父親は息子を置いて里を出てしまった。従弟は神殿預かりとなり、そこで寝泊まりしているはずなのだが、ここしばらく姿を見かけない。

「バル!」
 大声で呼ぶが、従弟の姿は一行に見当たらない。
「バル! バルフィリア!!」
 ジルにしてみれば、こんな女名で呼ばれることに固執する必要はないと思う。バル、と短くすっきりとした名前のほうがいいと思う。
 だが、約束は約束だ。
 案の定、五回も呼ばないうちに従弟は現れた。

「どこ行ってたんだ。ゼーマ様が心配してたぞ」
 従弟の服は泥まみれだった。髪はぼさぼさで、葉っぱや小枝が絡まっている。
 考えたくないが、ここ数日、野宿していたのかもしれない。

「行こう」
「こ……」
「うん?」
「こ、ころさ、れ、る」
「は? 何のことだよ。里まで侵入者は来ないよ」
 ジルは従弟の手を取り、無理やり引っ張って歩き出す。

「ここにはおまえを殺そうなんて思っているヤツはいない」
「でも……リリー、は……」
「あれは俺に怒ってるんだ。俺、あいつの戦士になるって約束してたから。
 おまえに怒ってるんじゃないんだ。怒られてんのは俺。俺だけだ」
 兄貴分とは損な役だと、ジルは思う。
 だが従弟妹たちはもっと損だと思う。〈声者〉というだけで長候補にされ、言葉を制限される。感情を抑えるように教育される。
 じゃじゃ馬な従妹をおしとやかにしなければならない教育者もかわいそうだが、里の外に憧れながらもそれが絶対に叶わないというのもかわいそうだ。



「泣いていいぞ」
「リリーが、泣いてる」
「あいつはいつも泣く」
「リリーに、あやまらないと」
「おまえは悪くない」
「でも……オレが、来たから、ここに」
「置いていかれたんだろう? おまえのせいじゃない」

 突然、手を引かれる。膝を突いて慌てて後ろを振り返ると、従弟が見事に転んでいた。
「大丈夫か?」
 従弟の顔は湿った泥で真っ黒だった。
「……ごめ……な、さい」
「バル?」
「いい子、に……から……おい、てかない、で……」

 自分は損な人間だと、ジルは思った。
 二人の従弟妹の面倒を見ても、見なくても怒られる。自分が怒られているのに従弟は泣き、従妹は逆上する。

「リリーに言えばよかったのに」
 名前を呼んでほしいと言えば、従妹は喜んで呼んだだろう。
 自分たちがまだ子どもであることなど関係ない。将来の孤独を確定された人間には幸福な瞬間でしかないだろう。

「……あ」
 それはまさに閃きだった。

 ジルは突っ伏して泣く従弟を無理やり立たせ、引きずって歩きだす。
「いいぞ、バル。そうだ。そうすればよかったんだ!」
 ジルの叫び声に怯えた従弟は膝の力が抜けてひざまずいた。

「バル、いいか? 俺はおまえの戦士だ。でもおまえはまだ候補じゃないか!」
「……?」
「だから、おまえがリリーの戦士になればいいんだ!」



 閃きは見事なものだった。
 リリーは泣きはらした顔を真っ赤にして喜び、興奮して寝台から転げ落ちた。それでも熱は冷めない。
「いっしょね! ずっといっしょよ!!」
 従妹はふたりの手を握りしめた。

 つないだ手の温もりは二人分。
 輪を作るのは三人。

 従弟妹たちの手が同じくらい温かいのに気づいたとき、ジルは初めて、従弟の笑顔を見た。