北河秀平はその日、いつものように起きて顔を洗い、着替えて朝食を摂り、玄関で靴に足を突っ込んだ。
 ブチッ
 奇妙な音。

 足元を見ると、革靴の甲の部分が少々裂けていた。まだ数ヶ月しか履いてないぞ、おい。
 事務局に不良品の連絡をしなければなと思いながら玄関を開けると、隣の坂城さんちの黒猫・ジョルジュが門前に座っていた。あいかわらず目つきの悪いやつだと避けて通る。

 通学路の途中で、今日は燃えるごみの日だったらしく、収集場所に鴉が群れていた。北河に気づくと鴉たちは、何を思ったのか一列に並んで北河の前を通り去った。
 鳥のくせに、と少々ご立腹でバスに乗り込み、ふと気づくとマッチョな大学生集団に囲まれていた。
 これは大変だ。窮屈だ。暑苦しい。

 バスから降りてようやく解放され、同学校の生徒たちの流れに乗る。



「キタヒデ!」
 朝一番に聞く呼び声がこれか。北河は走り去りたくなった。
「はよう、キタヒデ。あ、これ、このまえ借りてた辞書」
 あぁ、一ヶ月ほど前にな。滞納しすぎだ光井。
「珍しいな、ミッチー。おまえから返すなんて」
 横から園岡が顔を出す。
 なぜか二人は大荷物を持っていた。家出か?
「何をぉ! オレだって返すときは返す!」
 返さないときは絶対に返さない。

「昨日、ヨウタと部屋掃除してたら出てきたんだ。すっかり忘れててさー」
 いつも忘れているじゃないか光井。
「何おまえ、ソーカに掃除させたの? ひっでー」
「あいつが勝手にしだしたんだよっ」
 それくらいものすごいことになっていたんだな。
 しばらく行かない間に、幼なじみのゴミ部屋化はパワーアップしたようだ。

「ヨウタから、借りたらちゃんと返す、って言われたんだ!」
 そういえば、ヨウタって誰? 新たな餌食か?
 いろんなものを散々延滞されてきた北河にとって、これは喜ばしいことだった。もう買い直す必要も、やつのゴミ部屋から発掘する必要もない。

「あ、ヨウタ!」
 嬉々とした光井の声が向かう先にいるものを見て、北河は舌打ちしたい気分になった。同学生たちのなかに、朝から見たくもないやつの顔が合った。
 いきなり五月から転校してきた曾岡。いきなり試験で北河を追い抜いた曾岡。
 憎きライバル!

「おはよう、トシ、園岡」
「おはよっす、ヨウタ!」
「はよー」
(なに!?)
 北河は我が目と我が耳を疑った。
 なんと『ヨウタ』なる餌食は、あの曾岡だというのか!? あ、だから『ソーカ』ね。
 納得している場合ではない。

「おはよう、曾岡」
 北河は学年委員としての毅然とした態度でライバルにあいさつした。
「……おはよう」
 なぜ首をかしげる曾岡。
「ごめん、誰だっけ?」
 待て宿敵よ。この顔を見忘れたのか!? 入学式で学年代表を……やつは入学式にはいなかったじゃん!!

「あ、こいつ隣のクラスの北河秀平。キタヒデな」
「あぁ、学年委員の」
 思い出したか!
「悪い、気づかなかった」
 天然か貴様は曾岡!

「ヨウタ、ほら。キタヒデにも返したぞ」
「ちゃんと礼は言ったのか?」
「おいキタヒデ、ありがとな」
 適当だな幼なじみよ。

 曾岡は園岡から荷物を受け取り、光井と二人で去っていく。どうやらあの大荷物は返却物で、まだ返すあてがあるようだ。
 しかしヤツはなんて親切なんだ。掃除してくれた挙げ句、返す手伝いまでしてくれるとは。園岡から荷物を受け取るときもごく当然のようにしやがって。

「チー、あれはなんだ?」
「校舎だよキタヒデ。大丈夫か?」
「違う! あの二人だ。何だあの親密さは!?」
 うーん、と園岡は唸った。
「親友らしいよ」
「しんゆう!?

 親友って、あの親友か?
 夕暮れの浜辺で殴り合いのケンカして、根も気力も疲れ果てて砂浜に倒れこみ、おまえのパンチは効いたぜ、おまえのキックもいい感じだったぜとか言いながら固く手を握り合うあれか!?」
「キタヒデ、おまえ本当はいくつ?」

 身長一八五センチ(推定)、顔はまあまあ。成績は学年で常に十位以内でスポーツは球技が得意。隣のクラスながら女子が噂をしているのは聞いたことがあるくらいには人気があるらしい。
 そんなヤツが、あの三井を手懐けた?
 あのプチ・ジャ○アンを!?

「ち、ち、ちチー」
「んー?」
「そ、曾岡は、どうやってミッチーを、手懐けたんだ?」
「は? さぁ。ミッチーから頼んだらしいけど」
「なにぃ!?」
 あのプチ・ジャ○アン自ら告白させるような強者なのか曾岡!

「あ、侮りがたし、曾岡陽太郎……」
 これは人生最大のライバルだと北河は思った。

 その隣で園岡は、
「優しいクマさんと元気な子犬って感じだよなー」
 感動していた。