先客の視線が上がる。
「あなたは、人が嫌いですか?」
「…………」
「できることなら、人を好きでいてほしい。あなたがもし……この樹の番人ならば。

 初めて、こんな大きな樹を見ました。大昔にはたくさんあったというけど、もうこの一本だけなんですね。
 とても大きくて、キレイな緑色だ。幹はこんなに温かい。

 あなたがこの樹の番人なら、この樹を人から取り上げないでください。
 ぼくのように、たくさんの人がこの樹を目指してくるでしょう。昔は夜空に『星』と言うのがあって、それを道しるべにしたというけど、もう夜空からは、月も、消えてしまったから。
 ここを目指す人のために、この樹を、残してください。
 できることな、ら……」

 ごほ、と咳き込む。唇に一点の血がついた。

「たどり着いた、人たちを……」
 ごほ、げぼっ。
「うっ……かえ、て…………ぐ、ぅ……」
 胸を押さえる先客をただ見下ろす。その瞳の色はあまりに深く暗い色で、何色なのかわからない。

 一歩、踏み出した。まるで大地が呼吸をするかのようにゆっくりと歩く。
 ゆっくりと。
 先客の前に膝をつく。うつろな視線が持ち上がる。

「────────────……」

 唇の動きはかすかで、声は風の音にかき消された。
 あまりに広大な荒野ではその声はあまりに小さく、高い空の下で願うには、夢は儚すぎた。


 自分たちにはそれぞれの道があった
 互いに目指すものがあった

 覚えていてほしい

 二度と 二人の道は重ならないけれど
 悲しむことはせず ただ 懐かしんでほしい

 そしてできることなら……


 まだ温かい額に唇を寄せる。
 額と額を合わせる。

 左手を大きな樹の幹に押し当てる。
 手のひらに鼓動のような音がする。それはあまりに大きくて、ゆっくりとしていて、そうと知らなければ獣の眠る音にも聞こえる。

 口の中で呟く。
 言葉は光となって宿る。
 光は小さな力となって口腔に現れる。
 小さな力は一粒の石となった。
 石を指先でつまんで樹の幹に押し当てる。石は吸い込まれた。



 一年して、巨木の一枝に蕾がついた。
 一年をかけて蕾は昼間に咲き、夜に戻ることを繰り返した。

 二年目に、枯れた花の額のあいだに小さな塊ができた。
 塊は二年をかけて大きくなり、手のひらに乗るくらいの大きさになって落ちた。

 それを受け止めたのは白い長髪の手だった。

 種が受け止められた瞬間、四年のあいだただ眠るように座り込んでいた先客の体が、そよ風に吹かれて粉のように溶けて流された。温かかった肌も、ほこりをかぶった髪も、擦り傷のあった手足もなくなった。

 四年ぶりに動かす体は重い。
「何の種だと思う?」
 久しぶりに使う喉は少し痛んだ。
「食えるか?」
 急いで種を取り上げる。

 種はどしりとしていて重い。不細工な半球。こげ茶色。
「何の樹だろう……?」
「食ってみたらわかる」
「どこに植えるかだな」
 白い長髪のことは無視することにした。

 巨木のとなりに植えては、若木は取り込まれてしまうかもしれない。
 どれくらいの大きさになるのかわからないから、あまり狭いところでもいけない。
 人が多いと奪い合いになる。

「海」
「うん?」
「海には植えられないのか? 人は水の中から生まれて、海に帰るんだろう?
 大地の導はあるんだ。海への導にすればいい」
 ふーん、と唸る。
「百年に一回くらいはまともなことを話すんだな」
「わたしはいつもまともだ」
 長くなるので反論しないでおいた。

「海か」



 たどり着いた人たちを、
 どうか、温かく迎えてください。

 そしてできることなら、
 帰り道に迷わぬよう、道を示してください。

 ぼくたち人は、迷いながら生きていくから。
 どうか、いつまでも悲しまないように、
 何度道に迷っても、諦めずにいられるように、

 ずっと、

 ずっと、

 愛してほしい───