朝起きたら、隣で猫が寝ていた。
 全長約百五十センチメートルほどのデカ物が。
「なんでだ……」
 自分は犬派なのに、とカズキは嘆いた。

 カズキがしくしくと嘆いていると、猫は起き上がって慌てて身だしなみを整えた。
「おはようございます」
「あぁ、おはよう」
 今日びの猫はデカイだけでなく人語をしゃべるらしい。



「願い事はなんですか?」
「は? 願い事? 叶えてくれるの、おまえが?」
「はい。ワタクシ若輩者ながら、迷子の子猫ちゃんです」
 デカイ子猫だ。
「迷子ですので、願い事を叶えなければなりません。さぁ、願い事は何ですか?」
 理屈が通っていないよ子猫ちゃん。

「何でもいいの?」
「はい。ワタクシにできることなら」
「おまえに何ができるの?」
「ワタクシ、家事が得意です」
 メニューはフィッシュフルコースだな。
「それから空を飛ぶことと、水中に約三十分ほど潜ることができます」
 それでおまえは何を叶えようってんだ。

 あほらしくなって、カズキは布団をかぶって寝ようとした。すると布団の上からふにふにと柔らかいものが押し当てられる。
「あの、お願いですから、願い事を叶えさせてください。でないとワタクシ帰れません」
「あ、じゃぁさ、帰って。それ願い事」
「そっ……そんな!
 ワタクシは由緒正しい迷子の子猫ちゃんです。そんな惰性で閃いた願い事など叶えては、マタタビの刑にあいますぅ!」
 なんだよマタタビの刑って。

 諦めて、カズキは起き上がる。
「わかった、わかったよ。アー、じゃぁさ。
 今すぐ海に言って鮭獲ってこい。んで刺身にしてじいちゃんとこに届けてくれ」
「あぁ! わかりました。では早速、鮭を捕獲に参ります」
 猫は後ろ足で立ったかと思うと、窓から飛んでいった。せめて玄関から出て行け、とカズキは思った。



 子気味いい音に気づいてカズキは目を覚ました。
 台所には約百五十センチメートルの猫が、後ろ足で立っていた。由緒ある迷子の子猫ちゃんとはそういうものらしい。

「さぁできました。あとはお爺さまのところにお運びするだけですね」
「そうそう」
「では…………………………あれ?」
 見事な盛り付けの刺身を手に、猫は固まった。
「カ、カズキさん、カズキさん。大変です。お爺さまがいらっしゃいません」
 猫はどうやら感づいたらしい。っていうかどうやってわかったんだろう?

「カズキさん。お爺さまは……」
「このまえ初七日が終わったとこ」
 そして昨日の夜遅くに、実家からアパートにカズキは帰ってきた。いきなりだったので部屋の中は汚れたままの食器や脱ぎ捨てた服が散らばっている。
 四十九日までにはまだ日にちがあるから、一度戻ってきたのだ。

「カズキさん……」
「届けられるもんなら届けてみろよ」
「カズ……」
 猫は刺身の乗った皿を手に、途方に暮れた顔をした。耳も髭も垂れている。
「おまえにできることなんて、たかが知れてんだよ、このデカ猫」
 カズキは再び布団に潜り込み、無理やり眠ろうと目を閉じた。



 四十九日も滞りなく済み、次の日は休みでもあるので、カズキは実家に泊まることにした。
 久しぶりの三枚重ねの煎餅布団。
 小さい頃は祖父と一緒でないと眠れなかったのに、いつのまにか一人で眠れるようになっていた。それでも怖い夢を見たり、寝付けないときには祖父の布団に潜り込んだものだ。

 祖父との思い出を増やすことができなくなったからかもしれない。いろいろな思い出が甦る。

 シワシワの手。細長い顔。ゆっくりと静かに歩く姿。

 風呂場で教えてくれた水鉄砲。
 夏祭りで金魚を十二匹も獲ってくれた。
 秋には庭の落ち葉を集め、サツマイモやジャガイモを焼いて食べ、正月のお年玉にはなぜか飴玉が入っていた。

 ランドセルを買ってくれて、写真には二人で写った。
 運動会で転んだカズキと一緒に走ってくれた。
 文化祭での出し物をビデオに撮って、誕生日ごとにカズキの手形を採った。

 受験勉強で夜遅くまで起きていると、必ず近所の饅頭屋の饅頭とお茶を差し入れてくれた。
 合格発表の日にはカズキよりも落ち着かないで新聞を逆さまに読んでいた。



 眠れない。

 目は疲れているのに、頭が冴えている。
 目を閉じれば思い出が甦ってくる。
 目を開ければ、どうしようもなく一人だけの部屋が寒々しい。



 カズキ、カズキ。

 呼び声に気づいて振り向くと、そこには祖父が正座していた。
「じいちゃん!?」
 慌てて布団から飛び起きる。
「なんで生きてんの!?」
「あぁ、いやいやカズキ、ちょっと言いたいことがあって来たんだ。すぐ逝くよ。母さんたちには内緒にな」

 カズキは布団の上に正座して、堪えきれずに流れる涙を袖でぬぐった。
「なんでじいちゃん、死んだんだよ」
「歳だよ、歳。気にするな」
 大いに気にする。

「それよりカズキ。なぁ、ありがとなぁ」
「なにが?」
「刺身、美味かったよ」
「……え?」
「デカイ猫が持って来てくれてな、おまえからだって言うじゃないか。
 美味かったよ。猫にも一切れやったよ」

 ワタクシにできることなら───

 届けられるもんなら届けてみろよ───

 本当に、叶えてくれたらしい。
 家事と空を飛ぶことと、水中に三十分潜ることのできる全長約百五十センチメートルの迷子の子猫ちゃんは、成し遂げてくれた。

「美味かったよ、カズキ」
「じいちゃん」
「ありがとな」
「じいちゃん」

 涙で視界が曇る。カズキの向かいに正座する祖父の姿がぼやけて滲む。
「じいちゃん」
 びしょ濡れの袖で涙をぬぐって、また涙が流れる。声が震えて、喉が痛んだ。
「じいちゃん。ありがとう」

 祖父はしわくちゃの顔で笑って、ふわりと光になって消えた。

「ありがとう」
 もう誰もないのにカズキは呟いた。

 願いは叶った。
 願いは叶えた。

 迷子の子猫ちゃんは、お家に帰れたに違いない。



「ありがとう」