「根津野。ちょっといいか?」
呼びかけに振り返れば、脚は長いのにセリフは短い曾岡が立っていた。
あてつけか曾岡。
「話があるんだ」
珍しい。クールで物静かで口数の少ない曾岡が自分から話し掛けてくるなんて。しかも話があるといってなぜ屋上に行くのかな?
最近、屋上に連行されることばかりで嫌になる根津野だった。
「根津野。おまえ、光井とは小学校からいっしょだったよな?」
「あ? ミツイ?」
そう言えば、曾岡はクラスメイトを必ず名字で呼ぶ。光井をミッチー、園岡をチー、根木山中なんて面倒くさいのにネギとは呼ばない。
案外律儀なのかもしれない。
「あぁ、光井俊宏ね。そう、小学校四年のときクラスメイトになってからというものここまで来ちゃった仲だよ」
具体的に何かあったわけではないが。あったら怖いし。
「あいつ……」
「ん?」
「ヘンだ」
何をいまさら子猫ちゃん。いやでも君は猟犬って感じだよ曾岡。
「どうヘンなんだよ。常に見つめられてるとか、気づくと尾行されてるとか、弁当の中身をチェックされてるとか、そういうことか?」
「そうだ」
リーンゴーン
予鈴が鳴った。
そうなの!?
「気づくとあいつがそばに立ってるんだ。授業中も、視線を感じて振り向けば、光井が見てる。この前からいきなり、いっしょに昼飯食べようなんて言い出して……」
珍しい。こんなにしゃべる曾岡は珍しい。博物館から飛び出してきた資料みたいだ。
ではなく。
「仲良くしたいんじゃないのか?」
「……俺と?」
「おまえと。じゃなかったら、おまえの妹狙いとか」
「妹はいない」
「ねえさんは?」
「いるけど、子持ちだ」
ってことはおまえはすでに叔父さんなんだな。
「イヤならそう言えばいいだろ?」
「イヤってわけじゃなくて」
「なに?」
「不気味だ」
なるほど。確かに、いきなり親密行動を取られると不気味だ。しかもあの光井に。
「本人に訊いてみろよ」
「……なんて?」
「え?」
「どうして不気味なんだって訊くのか?」
よほど光井は不気味らしい。
「そうじゃなくて、いきなり馴れ馴れしくするのはどうしてですか、って訊くんだよ」
曾岡は指であごを支え、ふむ、とでも言い出しそうに考え込む。
なんて似合うんだおまえその大人ポーズ。うらやましいぞ、おい。
曾岡は「わかった。ありがとう」と言って屋上を後にした。
なんとなく怖くて根津野は教室に戻れない。
何かものすごいものに巻き込まれそうな気がする。いやもしかすると、すでに巻き込まれているのかもしれない。
本鈴が鳴った。
一時限目は確か……現文だ。明日はヤギジーに噛みつかれる覚悟をしておこう。
どどどどど……
バッファローの足音がする。
しかしここは日本だ! バッファローなんていないぞ!?
あ、動物園から脱走してきたのかもしれない。
バーン、と勢いよく開かれた扉の向こうに、バッファロー……
「み、みついとしひろ」
がいた。アッパー飯塚に負けない迫力だ。向こうは手だが、こっちは全身獣だ。威圧感が違う。
などと感心している場合ではなかった。
「てめーネヅ!」
「なっ、なんだよ!?」
「オレとソーカの仲を引き裂こうとはいい度胸だ!!」
「はぁあ? 俺が何したって?」
「オレたちの間柄がそんなにうらやましいかネヅノツヨシぃ!」
どういう仲なんだおまえらは。
「問答無用!!」
問答くらいしろこの獣!
突進してきた光井はあと一メートルというところでジャンプし、足を蹴り上げる。思わず下がった根津野の背中に屋上のフェンスが当たる。
逃げられない!?
「食らえ悪党!」
するどい横膝蹴りが繰り出される。根津野は両腕で腹をガードしつつも両目を閉じた。
どすん、と重い物音。
痛みはない。
あぁ、天国って痛みなんてないもんな、なんて思った根津野が目を開けると、目の前に黒い壁があった。
「……あ」
「そ、そーか……?」
身長一八五センチ(推定)のクラスメイトは、いつの間に現れていつの間に防いだのか、光井の膝を見事に受け止めていた。
「光井、ちょっとそこ座れ」
腰にくるドスの聞いた声に、思わず根津野も正座してしまう。その前に曾岡が根津野に背を向けて正座し、その向こうに光井が曾岡を向いて正座している。
何だこの陣形は。
「光井。人間は、前足を手として使う動物だ。だから人を蹴っちゃいけない。
足は人じゃなくて、地面を蹴るものだ。同じように人を蹴ったら、おまえは地べたをなめろと、相手を見下したことになる。
だから絶対に、人を蹴っちゃいけない」
「──────」
根津野は感動した。なんてカッコいんだ兄貴!
「やるんだったら、両手でやれ」
やらせるのか兄貴!?
「ごめん」
今、根津野は自分の耳を疑った。
あのプチ・ジャ○アン光井が、自分勝手好き放題ミッチーが、謝った!?
すごいぜ曾岡兄貴!!
「それと、さっきの続き。
俺は今まで学校のヤツとつるんだことがないから、いきなりベタベタされても困るんだ。どうしていいのかわからない。
だからっておまえにどう言っていいのかわからなかったから、根津野に聞いた。根津野はその質問に答えてくれた。それだけだ」
「うん」
素直な光井!? 青天の霹靂!!
明日はバッファローが一列に並んで集団登校してくるかもしれない。
「おまえが俺の友だちになりたいっていうのはありがたいけど、俺は家のことがあるから、放課後は遊びにいけない。それでもいいか?」
とたん、光井は取り上げられた玩具が帰ってきた幼児のような顔をした。
「いいよ! ぜんぜんオッケー!」
「俺、こっちのことあんまり知らないし」
「日曜とか、空いてる時間にオレが連れまわしてやるよ!」
「バイトあるから、遅くまでは遊べない」
「昼間があるじゃん! 遊べるときでいいよ!」
どうやら問題は解決したようだ。
光井は甦ったガキ大将の顔で笑い、曾岡はときどき首をかしげて考える。おそらくあの大人ポーズで決めている。
二人の会話は弾んだ。
どうやら根津野はアウトオブ眼中。忘れ去られている。
空を見上げても動くものは雲しかない。話しかけようにも鳥すらいない。
あぁ、寂しい。
「根津野、おまえ今日ヒマ?」
いきなり矛先を向けられ、「んぼあ?」と間抜けな声をあげる。
「よかったら、お詫びに晩飯でも食いに来ないか?」
「晩飯! 晩飯!」
光井が喜んでいる。
「俺んち今日、ビーフシチューだから。キライじゃないなら」
「え?」
「シチュー、シチュー、ソーカのお手製、ビーフっシチュウー」
ビーフシチューって、あの白いのじゃない、未だ我が家ではレトルトしか食べたことのないあのビーフシチューですか兄貴!?
「俺が作るから、口に合うかわからないけど」
料理人ですか兄貴は。
「放課後まで考えといて」
言うや否や曾岡は立ち上がり、喜びの舞を続ける光井の襟首を掴んで引きずって行く。
ビーフシチュー。
曾岡のお手製ビーフシチュー。
食べてみたいような、恐ろしいような。
その日の午前いっぱい、根津野は屋上で、行くべきか行かざるべきか悩みつづけた。
空は呆れるくらい青くて清んでいた。
呼びかけに振り返れば、脚は長いのにセリフは短い曾岡が立っていた。
あてつけか曾岡。
「話があるんだ」
珍しい。クールで物静かで口数の少ない曾岡が自分から話し掛けてくるなんて。しかも話があるといってなぜ屋上に行くのかな?
最近、屋上に連行されることばかりで嫌になる根津野だった。
「根津野。おまえ、光井とは小学校からいっしょだったよな?」
「あ? ミツイ?」
そう言えば、曾岡はクラスメイトを必ず名字で呼ぶ。光井をミッチー、園岡をチー、根木山中なんて面倒くさいのにネギとは呼ばない。
案外律儀なのかもしれない。
「あぁ、光井俊宏ね。そう、小学校四年のときクラスメイトになってからというものここまで来ちゃった仲だよ」
具体的に何かあったわけではないが。あったら怖いし。
「あいつ……」
「ん?」
「ヘンだ」
何をいまさら子猫ちゃん。いやでも君は猟犬って感じだよ曾岡。
「どうヘンなんだよ。常に見つめられてるとか、気づくと尾行されてるとか、弁当の中身をチェックされてるとか、そういうことか?」
「そうだ」
リーンゴーン
予鈴が鳴った。
そうなの!?
「気づくとあいつがそばに立ってるんだ。授業中も、視線を感じて振り向けば、光井が見てる。この前からいきなり、いっしょに昼飯食べようなんて言い出して……」
珍しい。こんなにしゃべる曾岡は珍しい。博物館から飛び出してきた資料みたいだ。
ではなく。
「仲良くしたいんじゃないのか?」
「……俺と?」
「おまえと。じゃなかったら、おまえの妹狙いとか」
「妹はいない」
「ねえさんは?」
「いるけど、子持ちだ」
ってことはおまえはすでに叔父さんなんだな。
「イヤならそう言えばいいだろ?」
「イヤってわけじゃなくて」
「なに?」
「不気味だ」
なるほど。確かに、いきなり親密行動を取られると不気味だ。しかもあの光井に。
「本人に訊いてみろよ」
「……なんて?」
「え?」
「どうして不気味なんだって訊くのか?」
よほど光井は不気味らしい。
「そうじゃなくて、いきなり馴れ馴れしくするのはどうしてですか、って訊くんだよ」
曾岡は指であごを支え、ふむ、とでも言い出しそうに考え込む。
なんて似合うんだおまえその大人ポーズ。うらやましいぞ、おい。
曾岡は「わかった。ありがとう」と言って屋上を後にした。
なんとなく怖くて根津野は教室に戻れない。
何かものすごいものに巻き込まれそうな気がする。いやもしかすると、すでに巻き込まれているのかもしれない。
本鈴が鳴った。
一時限目は確か……現文だ。明日はヤギジーに噛みつかれる覚悟をしておこう。
どどどどど……
バッファローの足音がする。
しかしここは日本だ! バッファローなんていないぞ!?
あ、動物園から脱走してきたのかもしれない。
バーン、と勢いよく開かれた扉の向こうに、バッファロー……
「み、みついとしひろ」
がいた。アッパー飯塚に負けない迫力だ。向こうは手だが、こっちは全身獣だ。威圧感が違う。
などと感心している場合ではなかった。
「てめーネヅ!」
「なっ、なんだよ!?」
「オレとソーカの仲を引き裂こうとはいい度胸だ!!」
「はぁあ? 俺が何したって?」
「オレたちの間柄がそんなにうらやましいかネヅノツヨシぃ!」
どういう仲なんだおまえらは。
「問答無用!!」
問答くらいしろこの獣!
突進してきた光井はあと一メートルというところでジャンプし、足を蹴り上げる。思わず下がった根津野の背中に屋上のフェンスが当たる。
逃げられない!?
「食らえ悪党!」
するどい横膝蹴りが繰り出される。根津野は両腕で腹をガードしつつも両目を閉じた。
どすん、と重い物音。
痛みはない。
あぁ、天国って痛みなんてないもんな、なんて思った根津野が目を開けると、目の前に黒い壁があった。
「……あ」
「そ、そーか……?」
身長一八五センチ(推定)のクラスメイトは、いつの間に現れていつの間に防いだのか、光井の膝を見事に受け止めていた。
「光井、ちょっとそこ座れ」
腰にくるドスの聞いた声に、思わず根津野も正座してしまう。その前に曾岡が根津野に背を向けて正座し、その向こうに光井が曾岡を向いて正座している。
何だこの陣形は。
「光井。人間は、前足を手として使う動物だ。だから人を蹴っちゃいけない。
足は人じゃなくて、地面を蹴るものだ。同じように人を蹴ったら、おまえは地べたをなめろと、相手を見下したことになる。
だから絶対に、人を蹴っちゃいけない」
「──────」
根津野は感動した。なんてカッコいんだ兄貴!
「やるんだったら、両手でやれ」
やらせるのか兄貴!?
「ごめん」
今、根津野は自分の耳を疑った。
あのプチ・ジャ○アン光井が、自分勝手好き放題ミッチーが、謝った!?
すごいぜ曾岡兄貴!!
「それと、さっきの続き。
俺は今まで学校のヤツとつるんだことがないから、いきなりベタベタされても困るんだ。どうしていいのかわからない。
だからっておまえにどう言っていいのかわからなかったから、根津野に聞いた。根津野はその質問に答えてくれた。それだけだ」
「うん」
素直な光井!? 青天の霹靂!!
明日はバッファローが一列に並んで集団登校してくるかもしれない。
「おまえが俺の友だちになりたいっていうのはありがたいけど、俺は家のことがあるから、放課後は遊びにいけない。それでもいいか?」
とたん、光井は取り上げられた玩具が帰ってきた幼児のような顔をした。
「いいよ! ぜんぜんオッケー!」
「俺、こっちのことあんまり知らないし」
「日曜とか、空いてる時間にオレが連れまわしてやるよ!」
「バイトあるから、遅くまでは遊べない」
「昼間があるじゃん! 遊べるときでいいよ!」
どうやら問題は解決したようだ。
光井は甦ったガキ大将の顔で笑い、曾岡はときどき首をかしげて考える。おそらくあの大人ポーズで決めている。
二人の会話は弾んだ。
どうやら根津野はアウトオブ眼中。忘れ去られている。
空を見上げても動くものは雲しかない。話しかけようにも鳥すらいない。
あぁ、寂しい。
「根津野、おまえ今日ヒマ?」
いきなり矛先を向けられ、「んぼあ?」と間抜けな声をあげる。
「よかったら、お詫びに晩飯でも食いに来ないか?」
「晩飯! 晩飯!」
光井が喜んでいる。
「俺んち今日、ビーフシチューだから。キライじゃないなら」
「え?」
「シチュー、シチュー、ソーカのお手製、ビーフっシチュウー」
ビーフシチューって、あの白いのじゃない、未だ我が家ではレトルトしか食べたことのないあのビーフシチューですか兄貴!?
「俺が作るから、口に合うかわからないけど」
料理人ですか兄貴は。
「放課後まで考えといて」
言うや否や曾岡は立ち上がり、喜びの舞を続ける光井の襟首を掴んで引きずって行く。
ビーフシチュー。
曾岡のお手製ビーフシチュー。
食べてみたいような、恐ろしいような。
その日の午前いっぱい、根津野は屋上で、行くべきか行かざるべきか悩みつづけた。
空は呆れるくらい青くて清んでいた。