「た、大変だっ」
教室に入ろうとしたところを腕をつかまれて止められる。
抗議も抵抗も考えつかないまま屋上に連行された。
「なんだよ、ネモト」
「大変なんだ」
「ほほぅ」
小学校二年の時に転校してきた学校で隣の席になってからというもの、同じ中学、同じ高校に進学した挙げ句なぜか常にクラスメイトであったネモトモトナオの『大変』は、七割方は『大変』ではない。
給食のパンの日にあまったジャムを貰ったとか、校長がかつらだったとか、天気予報では雪だったのに晴れてたとか、コップに入ったコーラを飲んだら醤油だったとか、母親の体重が3キロも増えたとか、遠足の弁当を忘れたとか、彼女に振られたとか、野良犬が排泄してたとか、食べかけのアンパンを鴉に取られたとか、道路を歩いていたらキレイなお姉さんに時間を訊かれてお礼に喫茶店でお茶をおごってもらったらいきなり壷を買わないかと勧誘されたとか……。
大半が、本人のアホさかげんによるものだ。
真剣に聞くだけムダだ。
「それがさ、夕べさ……」
夕食に出た秋刀魚に箸を向けたとたん、秋刀魚が踊りだし、『お母さん秋刀魚が踊ってる!?』と訴えると父が『踊らない秋刀魚がどこにいるんだハハハハハ』と笑い出し、母が『努力と根性よ』と意味のないことを言い、食欲が失せた。
夜中に腹が減ってインスタントラーメンでも食べようと台所に行くと、姉が仁王立ちで片手を腰に当て、ケチャップをラッパ飲みしていた。挙げ句に『お風呂上りはケチャップね!』と爽やかに笑った。
恐ろしくなって部屋に戻ると、妹が『お兄ちゃん、辞書借りていくね』と言いつつ鍵のかかる引き出しに入れていたはずのエロ本を持っていった。
引き出しの鍵の部分はなぜか破壊されていた。
落ち込んで、もういいや寝てしまおうと布団をめくると、なんとそこには踊る秋刀魚と……
「秋刀魚の着ぐるみ着たおまえがいたんだ」
それは明らかに夢だ。
「驚いて悲鳴をあげたら、起きたんだ」
夢だったんだな。
「よかった……」
あーはいはいよかったね。
「布団が秋刀魚臭くなるところだった」
そこか!?
「いや、もうマジで、びっくりしたよ」
ネモトモトナオは垂れた目元をさらに垂らして安堵の息をついた。
「それでさぁ」
「うん?」
なんだ。まだ何かあるのか。
「ごめんな、ネヅ」
「……は? 何が?」
「だからさ、おまえのこと秋刀魚にして。しかも着ぐるみ」
「着てないって。夢だし」
「うん。だからさ、夢って願望とかの表れっていうじゃん?」
「ん? あぁ、らしいな」
「俺、ネヅに秋刀魚の着ぐるみ着せたいとか思ってたんだなぁ」
「──────」
鳥肌が立った。
夢の中でかわいい女の子に猫とか犬とかの着ぐるみを着せるならともなく、なぜやつは小学校二年生からの腐れ縁に、あろうことか秋刀魚の着ぐるみを着せたんだろうか。
着せたいのか?
着てやろうか?
秋刀魚くらいなんだ。細長い青魚じゃないか。マーメイドになれなんていわれないだけマシだ。
「たぶんあれだよ。昨日さ、小学生んときの文化祭で、演劇しただろ? その話しただろ?」
ヤツは浦島太郎。
おれは……海草。
海草なんてイヤだイヤだせめて魚の役がいい、なんて泣いて縋ったが、担任は問答無用でおれを昆布にした。隣ではネギヤマナカダイスケが呆然とワカメになっていた。
やつは小柄で顔がいいからという理由で、大柄なクラスメイトの背に乗った。
カッコよかったなぁ……一瞬だけ。
「でさぁ、俺が主役でさぁ、おまえ俺のこと睨んでただろ?」
心の底から憎んだ気がする。
「それ昨日の話で思い出してさぁ、それでおまえに秋刀魚の着ぐるみ着せたのかもしれない」
「…………」
ネモトモトナオは根元素直。
心の底からヤツは素直で、昔からいいやつ。小柄な美少年が大柄な木偶の棒になってもみんなヤツを気に入るのは当然のこと。
そんなヤツの『大変』に巻き込まれるのは俺だけで。
それがちょっと嬉しいなんて、ネモトモトナオじゃない俺は自分自身にも認められない。
でも、言うときは言う。
「バーカ。秋刀魚のセリフがどれだけあったか覚えてねぇだろ。俺に覚えられるわけないじゃん。
おれは昆布で充分なの。性根の悪い昆布を見事に演じきっただろうが。
俺ってば天才よ。
世界一の昆布マンだよ」
ネモトモトナオが垂れた目を細めて笑う。
ネヅノツヨシは恥ずかしさを隠そうと、大口を空けて笑ってみた。
今日も快晴。
友情はいつにもまして美しく、木っ端恥ずかしいものだった。
教室に入ろうとしたところを腕をつかまれて止められる。
抗議も抵抗も考えつかないまま屋上に連行された。
「なんだよ、ネモト」
「大変なんだ」
「ほほぅ」
小学校二年の時に転校してきた学校で隣の席になってからというもの、同じ中学、同じ高校に進学した挙げ句なぜか常にクラスメイトであったネモトモトナオの『大変』は、七割方は『大変』ではない。
給食のパンの日にあまったジャムを貰ったとか、校長がかつらだったとか、天気予報では雪だったのに晴れてたとか、コップに入ったコーラを飲んだら醤油だったとか、母親の体重が3キロも増えたとか、遠足の弁当を忘れたとか、彼女に振られたとか、野良犬が排泄してたとか、食べかけのアンパンを鴉に取られたとか、道路を歩いていたらキレイなお姉さんに時間を訊かれてお礼に喫茶店でお茶をおごってもらったらいきなり壷を買わないかと勧誘されたとか……。
大半が、本人のアホさかげんによるものだ。
真剣に聞くだけムダだ。
「それがさ、夕べさ……」
夕食に出た秋刀魚に箸を向けたとたん、秋刀魚が踊りだし、『お母さん秋刀魚が踊ってる!?』と訴えると父が『踊らない秋刀魚がどこにいるんだハハハハハ』と笑い出し、母が『努力と根性よ』と意味のないことを言い、食欲が失せた。
夜中に腹が減ってインスタントラーメンでも食べようと台所に行くと、姉が仁王立ちで片手を腰に当て、ケチャップをラッパ飲みしていた。挙げ句に『お風呂上りはケチャップね!』と爽やかに笑った。
恐ろしくなって部屋に戻ると、妹が『お兄ちゃん、辞書借りていくね』と言いつつ鍵のかかる引き出しに入れていたはずのエロ本を持っていった。
引き出しの鍵の部分はなぜか破壊されていた。
落ち込んで、もういいや寝てしまおうと布団をめくると、なんとそこには踊る秋刀魚と……
「秋刀魚の着ぐるみ着たおまえがいたんだ」
それは明らかに夢だ。
「驚いて悲鳴をあげたら、起きたんだ」
夢だったんだな。
「よかった……」
あーはいはいよかったね。
「布団が秋刀魚臭くなるところだった」
そこか!?
「いや、もうマジで、びっくりしたよ」
ネモトモトナオは垂れた目元をさらに垂らして安堵の息をついた。
「それでさぁ」
「うん?」
なんだ。まだ何かあるのか。
「ごめんな、ネヅ」
「……は? 何が?」
「だからさ、おまえのこと秋刀魚にして。しかも着ぐるみ」
「着てないって。夢だし」
「うん。だからさ、夢って願望とかの表れっていうじゃん?」
「ん? あぁ、らしいな」
「俺、ネヅに秋刀魚の着ぐるみ着せたいとか思ってたんだなぁ」
「──────」
鳥肌が立った。
夢の中でかわいい女の子に猫とか犬とかの着ぐるみを着せるならともなく、なぜやつは小学校二年生からの腐れ縁に、あろうことか秋刀魚の着ぐるみを着せたんだろうか。
着せたいのか?
着てやろうか?
秋刀魚くらいなんだ。細長い青魚じゃないか。マーメイドになれなんていわれないだけマシだ。
「たぶんあれだよ。昨日さ、小学生んときの文化祭で、演劇しただろ? その話しただろ?」
ヤツは浦島太郎。
おれは……海草。
海草なんてイヤだイヤだせめて魚の役がいい、なんて泣いて縋ったが、担任は問答無用でおれを昆布にした。隣ではネギヤマナカダイスケが呆然とワカメになっていた。
やつは小柄で顔がいいからという理由で、大柄なクラスメイトの背に乗った。
カッコよかったなぁ……一瞬だけ。
「でさぁ、俺が主役でさぁ、おまえ俺のこと睨んでただろ?」
心の底から憎んだ気がする。
「それ昨日の話で思い出してさぁ、それでおまえに秋刀魚の着ぐるみ着せたのかもしれない」
「…………」
ネモトモトナオは根元素直。
心の底からヤツは素直で、昔からいいやつ。小柄な美少年が大柄な木偶の棒になってもみんなヤツを気に入るのは当然のこと。
そんなヤツの『大変』に巻き込まれるのは俺だけで。
それがちょっと嬉しいなんて、ネモトモトナオじゃない俺は自分自身にも認められない。
でも、言うときは言う。
「バーカ。秋刀魚のセリフがどれだけあったか覚えてねぇだろ。俺に覚えられるわけないじゃん。
おれは昆布で充分なの。性根の悪い昆布を見事に演じきっただろうが。
俺ってば天才よ。
世界一の昆布マンだよ」
ネモトモトナオが垂れた目を細めて笑う。
ネヅノツヨシは恥ずかしさを隠そうと、大口を空けて笑ってみた。
今日も快晴。
友情はいつにもまして美しく、木っ端恥ずかしいものだった。