毎日、あなたに起こされて。顔を拭いてもらって、服を替えてくれた。一緒に食事をして、運んでもらって。
 あなたは一日中机に向かって、お昼には必ず庭で摂った。雨の日は、庭の見える窓辺で。
 昼からもまたあなたは机に向かった。日が暮れると夕食を摂って、体を拭いてくれて、歯を磨いてくれて、一緒に枕を並べた。
 毎晩、あなたの寝顔を見ていた。少しずつ大人びてくるあなたの顔を。大きな手の指を握り締めてみたり。温かい腕にしがみついてみたりした。
 でもね。

「いつもね、あなたの背中が、好きでした」
「…………」
「緊張したり、喜んだり、落ち込んだり。あなたの背中は、とっても楽しかった」
「…………」
「毎日ね、話し掛けるのが怖かったの」
「…………え」
「あなたの背中が好きだから、あなたが振り向いたとき、どんな顔をしているのか、怖かったの」
「…………」
「わたしはね、あなたの背中を、ずっと、毎日、見ているだけでも、良かった、の」

 彼女の声が風に震えた。

「ときどき、ね。目の前が、暗くなるの。でね……あなたの、背中をずっと、見るの。そしたら、ね。…………大丈夫なの。……あなたのね、背中が、わたしを……何度も……救ってくれ、た、の」
「……ミ、ネ…………」
 私は彼女の手を握り締めた。細くて、冷たい。

「……サキト、君。……あのね。わたし、ね…………」
「ミネルさん?」
 彼女の顔に私は自分の顔を近づけた。もっと彼女の声を聞かなければならない。もっと静かな、そう研究室ならもっと彼女の声が良く聞こえるのに。

 なぜあの木を庭に植えたりしたのだろう。研究室の床を掘って植えればよかった。
 でもあの木にとっては風が吹き、土が肥え、日の当たる場所が良かったのだ。すぐに散ってしまうくせに、注文だけは多いのだ。
 彼女は私の背中だけで良いと言ってくれたのに。

「あなたの、……───」

 彼女の穏やかな笑顔は私の顔から離れなかった。
 瞬きもせず。
 私の恋した眼差しを、私だけに注いで。

「ミネルさん?」
 彼女の優しげな頬に、薄紅色の花びらが舞い降りた。



 あなたの背中に、恋をしました───




――――終