今、彼女は私の後ろにいる。
 酸素ボンベの機械と点滴に囲まれている。寝台の上から発される彼女の視線を感じる。

 彼女が自宅療養になったとき、私は彼女の唯一の身内だという兄に土下座をして結婚を許してもらい、二人で書類にサインをした。彼女は泣いていた。
 夫婦となってからも、私たちは互いの呼び名を変えなかった。
 サキト君。
 ミネルさん。

 今、私は机に噛り付いている。
 実験器具と集めた種々の植物に囲まれている。一ミリグラム、一ミクロンが視界に広がっている。

 窓のない研究室からは外の世界は見ることもできない。
 だから私は毎朝二人で朝食を取ると、寝室から研究室へ彼女を運ぶ。雨が降らない限り庭で昼食を摂り、夕方には寝室へ彼女を運んで二人で夕食を摂る。
 家のことは家政婦に任せた。
 私は彼女に家の主婦でいるよりも、私の伴侶でいてほしかったから。



「疲れたの?」
 彼女の声は小さい。静かな部屋ではしっかり聞き取れる。
「少しね」
「休んだら?」
「そうだね」
 私は二人分のお茶を淹れた。
 彼女は時々、私の背中に話し掛ける。目が疲れていたら「もう休んだら?」、肩が凝ったら「お風呂は暖かいのがいいわね」、作業が一段楽したら「お茶を飲みましょう」と。

 彼女は私が何を甦らせようとしているのか知らない。
 できるかもしれない。できないかもしれない。彼女には結果だけを教えたい。
 狂った私が産み落とそうとしているものだけを。