そのおっさんは変わっていて、言葉は都会の人間のようなのに、彼を船乗りの人間として話しかけた。
「渡れるか?」
 この前の都会から来た夫婦はいつでも渡れると思っていたらしい。いきなり「二人だ」と言って船に乗ろうとした。
 バカだ。砂に飲み込まれてしまえ。

 砂はいつも動いてるんじゃない。砂はいつ動くかわからない。
 日がな一日眺め続け、読まなければならない。

「一人?」
「そうだ。動きそうか?」
「もうちょっと待って」
 うむ、とおっさんは言って、荷物を足の甲に乗せた。
 正解だ。スリには金持ちがわかる。おっさんは薄汚れていたが、金は持っていそうだ。

「稼ぎ行くの?」
 珍しく彼は話しかけてみた。
 おっさんの目は、この前の都会の夫婦のように、彼を「櫂を漕ぐ物」として見ていなかった。ちゃんと「船を操る者」を見る目をしている。
「いや。帰るところだ」
「どこ?」
「皇都」
 彼はヒューッ、と口笛を吹いた。
 まえに薄汚いといって彼を殴った大商人と違い、おっさんは小さく笑った。

「都会モンにしては、汚いね」
 調子に乗って話してみる。
 殴られるのはいつものことだ。罵られるのは日常茶飯事。
「砂嵐から逃げてきたんだ。すごかったぞ」
「運いいね」
「あぁ。運が良かった」
 汚れたおっさんの歯は白い。

「長いのか?」
 おっさんが話しかけてきた。
 やっぱりおっさんは、彼を人間としてみてくれている。珍しい都会人だ。
「なにが?」
「船に乗って」
「ガキんときから」
「親も船乗りか?」
「知らない。気づいたら死んでた。カラカラになって」
「そうか」
 おっさんはうなずいた。何のうなずきだろう?


 砂は動いた。
 男一人なんて稼ぎにしては少ない。でも彼は機嫌がよくて、おっさんなら十人乗せてやってもいいと思った。

「また来てよ」
「あぁ。また来るだろう」
 おっさんは服にかかった砂を払い落とした。
 やっぱり都会の人間だ。またすぐに砂まみれになるのに、砂を払い落とすなんて。
 砂の川の船乗りは毎日砂を浴びている。彼も毎日浴びなければ気がすまないというくらい浴びてきた。物心つく頃から。まだ背丈が今の半分のときから。

「このあたりでは水はどうしている?」
「水? 井戸あるよ。共同の」
 おっさんは懐から小さな包みを出した。その中には黒い……豆? が入っていた。
「井戸に投げ入れてみろ。おまえの運がよければ」
「は?」
 黒い豆? を受け取った彼は首をかしげた。
「これなに?」
「種だ」
「たね?」
「それではな」

 彼の疑問を置き去りに、おっさんは行ってしまった。
 彼は仕方なく、仕事が終えてから共同井戸に向かった。まだ女たちが夕飯用の水を汲んでいたので少しだけ待った。
 あたりが暗くなってから、彼は「たね」なるものを井戸に投げ入れた。

 おっさんは都会の人間だが、悪い人間ではなかった。だからきっと、こんなことをしても大丈夫だと彼は思った。

 しばらく待つと、
「…………………………………………おい」
 彼は後ずさりした。
「……じょ…………………………………………ジョーダン?」
 冗談でも嘘でも夢でもなかった。
 それはむくむくと起き上がり、井戸からあふれた。

「ちょっ………………おい!!」
 彼は周囲を見渡し、どうすべきか考えた。
 大人を呼ぶべきだ。町長でも良い。船乗りの親方だって大人だ。
 だがこれを見て大人も無事でいられるだろうか?
「な……なんで……なんで…………なんで水がぁぁぁぁあ!!」



 その砂漠では、水が流れるように砂が流れていた。
 大きな砂の川の対岸には、船乗りたちが人や食料や家畜や宝石やら何やらを運んだ。
 ある砂の川の近くのひとつの町の共同井戸では不思議なことが起こる。
 普通の、変哲のない井戸である。ご先祖様が掘りあて、子孫たちは毎日感謝しながら水を汲み上げていた。水は大人の頭ふたつ分ほどの大きさの桶がなんとか浸るくらいの水位である。
 だが。
 彼が来ると違った。
 共同井戸に彼が近づくと、まるで誘い出されるように井戸の水が溢れ出すのだ。滾々どころではなく、ドウドウと。
 そんな不思議な彼のことを、町の人々はきっと水に好かれたのだと、「水のピトイス」と呼んだ。



「ピット! おめぇ、水神さまのおつかいか!?」
「バカいうな親方! おれはガキじゃねぇ! 水汲みのお使いなんてもっとチビがやるもんだ!」
 その日彼は、神の御使いと買い物のお使いを間違えるほど興奮した。