その日珍しく主の背後に魔導士がいた。
皇帝の影、とはよく言ったもので、背が高く全身黒ずくめの魔導士は、確かに主の影が立ち上がったようだ。
宰相と魔導士の挨拶が終わると、いつもの業務が始まる。結局真面目さが仇となり、イルスはズル休みもできなかった。
魔導士は山と詰まれた見合い写真に苦笑した。
「おもてなるのは良いことですが、お待たせするのはいかがなものかと存じます。イオイラ様も、あきれ果てておいででしょう」
「…………」
「イオイラ?」
つい声が出た。主たちの視線がイルスに集まる。
「……わたしの、離縁した妻だ」
「……っ。そ、し、し失礼いたしましたっ」
イオイラ様というのか……。イルスの脳みそにしっかりと刻み込まれた。
「魔導士殿。よろしければあとで、その方のことをお聞かせ願えませんか? 我が主のお好みは、この若造にはさっぱりわかりません」
イルスの父と同年代の宰相は、そういって深い深いため息をついた。
六代もの皇帝に仕える魔導士と、聖皇帝と呼ばれる長寿の主のまえでは、大抵のものは若造である。イルスなどオムツも取れていないだろう。
「ではのちほど」
魔導士が快く承諾すると、主は珍しく表情を変えた。それはまるで拗ねた子どものようだった。
日差しが柔らかい時期は、主は庭でお茶をお飲みになられる。だいたい、「お茶の時間」というものを定着させたのも主で、それまで「お茶を飲む」のは喉の渇きに耐えかねたときだけだった。
「よろしいのですか?」
宰相と魔導士が連れ立って去っていくのを見送ったイルスは訊ねた。
「だめだといっても変わらないだろう」
主は切なそうにため息をつかれた。女性が見たら貰いため息をしそうなほど絵になる光景だ。
「おまえは訊きたがらないのか?」
「は。いえ……。もし……陛下、もしもですが、陛下がお心惹かれる女性が現れたら、どうなさいますか?」
「現れたら、か。そうだな」
主は真っ黒なお茶を眺め、庭の緑に目を移す。
昔、この庭では庭師が始終出入りしていたという。
暑い気候に慣れない植物までも持ち込み、常に一定の緑を保つよう、歴代の皇帝は心がけた。心がけたというのはおかしいかもしれない。常に緑に囲まれた土地に憧れたのだ。
たとえば、海を挟んだ国。緑豊かな土地と青く澄んだ海と無数の小島からなる小さな国。公国から独立して統治帝国の国港となり、他大陸との重要な交易を取り扱っている。
何度か侵略の手を伸ばしたが成功したことはない。一番新しい侵略の際には、かえって我が国内に侵入されたという。
その侵略戦争を終結させ、敗国であることを認めたのは、今イルスの目の前に座る人だった。
:Novel 一覧
皇帝の影、とはよく言ったもので、背が高く全身黒ずくめの魔導士は、確かに主の影が立ち上がったようだ。
宰相と魔導士の挨拶が終わると、いつもの業務が始まる。結局真面目さが仇となり、イルスはズル休みもできなかった。
魔導士は山と詰まれた見合い写真に苦笑した。
「おもてなるのは良いことですが、お待たせするのはいかがなものかと存じます。イオイラ様も、あきれ果てておいででしょう」
「…………」
「イオイラ?」
つい声が出た。主たちの視線がイルスに集まる。
「……わたしの、離縁した妻だ」
「……っ。そ、し、し失礼いたしましたっ」
イオイラ様というのか……。イルスの脳みそにしっかりと刻み込まれた。
「魔導士殿。よろしければあとで、その方のことをお聞かせ願えませんか? 我が主のお好みは、この若造にはさっぱりわかりません」
イルスの父と同年代の宰相は、そういって深い深いため息をついた。
六代もの皇帝に仕える魔導士と、聖皇帝と呼ばれる長寿の主のまえでは、大抵のものは若造である。イルスなどオムツも取れていないだろう。
「ではのちほど」
魔導士が快く承諾すると、主は珍しく表情を変えた。それはまるで拗ねた子どものようだった。
日差しが柔らかい時期は、主は庭でお茶をお飲みになられる。だいたい、「お茶の時間」というものを定着させたのも主で、それまで「お茶を飲む」のは喉の渇きに耐えかねたときだけだった。
「よろしいのですか?」
宰相と魔導士が連れ立って去っていくのを見送ったイルスは訊ねた。
「だめだといっても変わらないだろう」
主は切なそうにため息をつかれた。女性が見たら貰いため息をしそうなほど絵になる光景だ。
「おまえは訊きたがらないのか?」
「は。いえ……。もし……陛下、もしもですが、陛下がお心惹かれる女性が現れたら、どうなさいますか?」
「現れたら、か。そうだな」
主は真っ黒なお茶を眺め、庭の緑に目を移す。
昔、この庭では庭師が始終出入りしていたという。
暑い気候に慣れない植物までも持ち込み、常に一定の緑を保つよう、歴代の皇帝は心がけた。心がけたというのはおかしいかもしれない。常に緑に囲まれた土地に憧れたのだ。
たとえば、海を挟んだ国。緑豊かな土地と青く澄んだ海と無数の小島からなる小さな国。公国から独立して統治帝国の国港となり、他大陸との重要な交易を取り扱っている。
何度か侵略の手を伸ばしたが成功したことはない。一番新しい侵略の際には、かえって我が国内に侵入されたという。
その侵略戦争を終結させ、敗国であることを認めたのは、今イルスの目の前に座る人だった。
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