言葉もなく後宮の扉の前を通り過ぎる。
 それはせめてもの救いだ。後宮名物『花廊下』―――単に、先を歩く女官が淑女の足元に花びらを撒いて先導するだけだが、趣味ではない。もちろんこれからもやってみたいなどと思わない。

 ぐんぐんと奥へ向かう。いくつも角を曲がり、扉をくぐる。
 もうそろそろ到着してもらわないと、イルスは帰り方がわからなくなりそうだ。
 いざというとき、逃げ道はしっかり確保しておくべきだと思う。こんなときには特に。



 女官が止まったのは、大きな扉の前だった。
 なりは大きいが、たいした飾りもないそっけない扉は、王宮の奥まったところには不似合いだ。奥から怪しげな人物が出てくるならともかく。

 怪しげといえば、主にはいつも影のようにそばに控えていた魔導士がいたはずだが、このところ見かけない。
 夏季だろうが雨季だろうが真っ黒なローブを頭からかぶった、動く小山のような人。非常に寡黙で、時折拝聴する声は非常に低く、地獄の底から響くよう。
 幼児ならまず悪夢として記憶する外見だが、内面は非常に大らかだ。

 だがイルスも、始めてあったとき、御伽噺に出てくる魔王が主の背後に忍び寄っているのかと思って身構え、「曲者!」と叫んでしまい、大騒ぎしたものだ。
 あの時は確か、微かに笑い声を聞いたような気がする。主と、魔導士の二人分。
 緊張に強張っていた肩が、それで緩んだ。



 ───などと考えている間に、イルスは部屋に一人、取り残された。

 魔王がやってくる!


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