何か、とても大きなものがなくなったようような気がした。
 風に木の葉を揺らす木々、咲き誇る花々。ゆらりと舞う蝶、忙しなく羽ばたく蜂。甘い香りはいつのまにか空気に溶け込んだ。大きく息を吸い込むと、爽やかな青いものが匂った。

 大きな屋敷。
 広い庭。
 先日、老いた女主人が亡くなった。アルフレッダは長女の務めで、この屋敷の新しい主となった。
 召使を傅かせるのも、どこに出しても恥ずかしくないように教育するのも、アルフレッダの役目。屋敷を整え、庭を丹精しなければならない。急な来客があってもよいように、居心地良くしておかなければ。

 やることはたくさんある。本を読んだり、泣いていたり、花摘みをしている場合ではない。
 弟は明日、隣国へ立つ。
 二度と会えないかもしれない。
 今、泣いているかもしれない。

 --もう泣くなよ

 きゅっ、と唇をかみ締める。顎を引いて、目にも鮮やかな庭園を眺めた。
 自分がこの庭の主だと、自分に言い聞かせる。もうただの子どもではいられないのだ、と。

 宝石のついた靴が地を蹴った。身体が前へ飛ぶ。
 着地。
 また靴が地を蹴る。前へ飛び、着地。
 地を蹴る。飛ぶ、着地。
 蹴り、飛び、着地。

 蝶や蜂のような羽根はない。けれど走ることはできる。
 走ることもできないほど重たい足枷はない。

「姫!?」
 執事が叫んだ。
 帽子にいっぱいだった花びらは半分に減っていた。走って乱れた髪をそのままに、アルフレッダも叫び返す。
「馬車をだしなさい!」
「このような時間から、どちらへ?」
「コリンのところよ! いそいで!」

 靴の汚れを気にする侍女や、着替えを持ってくる侍女を跳ね除け、馬車に飛び乗る。急げ急げとせっついて城へ走らせ、転げるように馬車から降りる。兄の驚いた顔を横目に一直線に部屋を目指した。
 衛兵を押しのけて勢いよく扉を開くと、案の定、弟は泣いていた。
 アルフレッダは三回、深呼吸する。

「もう泣くのはやめなさい!」


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