柔らかくて、暖かい。洗い立てのシーツに包まれたようだ。

 頬を伝う最後の涙を、白い指がすくう。

「あ……」

 いま自分がどこにいるのか知って、恥ずかしさと恐ろしさに硬直した。

「大丈夫?」

「は……はい」

 女は柔らかいものだ、と師は言った。たしかに柔らかい。こんなに柔らかくては生傷が耐えないだろうに、大丈夫なんだろうか。



「……すみません」

「いいのよ。悲しかったのね」

「……わかりません」

 髪をなでていた手が止まった。

「どうして?」

「ぼくは、ぼくのため、泣く、違うんです」

「?」

「ぼ、ぼくは、まだ、言葉が少ないので……」

「言葉が上手く話せないのね。大丈夫、わかるわ。あなたは自分のために泣いていたわけではないのね」

「はい」

「じゃぁ、誰のために泣いているの?」

「…………」



 それはもうすぐわかることだった。

 今日明日にでも生まれそうな子どもがいる。たぶん、その子だろう。



「ぼく、は、自分で、泣かない。子どもが……産まれる、生きない、泣くんです」

「えーっと……赤ちゃんが生まれるけど、生きない? ……死産ってことかしら?」

 コクコク、とうなずく。そう、死産だ。



 子どもが死産することをこの目は予見して泣き、この喉は声を張り上げる。

 意識は彼方に追いやられ、ただ泣き悲しむことだけしかできなくなる。気づけば、泥まみれの垢まみれの埃まみれになる。疲れ果てて泣き止むまで、誰にも手がつけられない。

 気づいたときには嫌悪の眼差しに囲まれ、我が子を失った父親に殴られ、孫を奪われた老婆に刃物を突きつけられる。母親は髪を乱して罵る。



「予見して、涙を流す? あぁ、あなたなのね、新しいお弟子さんって」

「?」

「イグリス導師が、新しいお弟子さんを拾ってきたって言ってらしたわ。あなたなのね」

「…………」

 彼女は殴らなかった。いや、女だから罵るはずなのに、珍しいものを見るような眼差しで見つめる。顎をつかまれてじっと目を覗かれると、近づいた分だけ甘い香りがした。

「見た目は普通の目なのね。死産しかわからないの?」

 こく、とうなずく。

「誰か……あぁ、ノーペルの子ね」

 それは兄弟子の名前だ。いつアレが出るのかわからないので、ここしばらくは会わないようにしていた。



 彼女はグイと身体を離し、腕を取って立ち上がらせた。

「行ってきなさい」

「?」

「ノーペルのところに、行ってきなさい」

「い……できません」

「行きなさい。代わりに泣いてあげなさい」

「?」

「ノーペルの子は産声もあげずに逝ってしまうんでしょう? だったら、あなたが代わりに聞かせてあげなさい、産声を」



 産声。

 うぶごえ、ってなんだろう。



 行きなさい、と彼女の声に急き立てられるように走りだす。

 巨大な扉の開かれた玄関から磨き抜かれたホールにはいり、階段を駆け上がる。人にぶつかりそうになって慌てて転んだ。窓のいくつも並んだ廊下を何度も何度も曲がり、兄弟子の姿を探した。階段を上り、降り、廊下を滑って鼻を打ち。



 ぜぇ、はぁ、と息が上がった。

「……レン?」

 背の高い兄弟子が廊下に座り込んでいた。いつも行儀が悪いと弟弟子をしかりつける人とは思えない姿に、愕然とした。もう、そのときは来ていたのだ。

「レン。来てくれたのか。……顔を、見てやってくれ。……あいつに、よく、似てるよ。……目元が……よく、にて……」

 兄弟子の震えた声とともに床に涙が滴った。



 大きな、声が。

 耳を劈いた。





 生まれながらに不思議な能力を持ったものを、まだ忌避することもある時代。忌み嫌うものは変わっても、人から恐れる心が消えることはない。

 ある魔導士は、旅の途中で見つけたやせ細った少年を、処刑しようとした街の権力者から買い取った。その不思議な能力が、いつか少年の助けになるようにと願いを込めて名付けた。

 後世少年は『声のアンレーナ』と呼ばれる。

 古い言葉で、祈りの声、という。





「なぁ、レン。今度さぁ、子どもが生まれてきたときは、泣かずに笑ってくれよ」

 兄弟子の言葉にうなずきはしたが、彼はそのとき、嬉しさのあまり泣き出すことになろうとは思いもしなかった。

 嬉しくても泣くのだと、知ることになる。





声のアンレーナ002


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