薄暗い夜道。
一人歩く、石畳。
(……雪?)
見上げると、まだらに黒い夜空に白粒でできた雲が広がっていた。
いや、違う。
(さくら……)
いつの間にか桜の樹のそばを歩いていた。
一本だけの桜の樹は、人工灯で黒く曇った夜空に向かって延々と枝を伸ばし、見えない星の代わりというように花を散らしている。まだらに染まる夜空の薄汚さを嘆いて、極薄桃色の花びらがばら撒けられたようだ。
静かな風にさえ攫われる花びらが頬に触れて落ちていく。
桜のあとはねぇ
薄紫色の花が咲く、と聞いたことがある。この庭の樹だけはどうしても薄い色の花になる、と藤棚を見上げながらいった人がいた。
あの年の花も薄紫色だったのかわからない。気づかないままに終わった。
今年のはどうだろう?
桜はまだ満開を迎えたばかりで、終わりがいつになるのかわからない。
「おーい。トーコー!」
両手にわんさか花を抱えたマツさん発見。
「遅い遅いおっそーい!」
いつからいたのだろう、もう顔が赤い。周囲のお姉さん方も赤い。
「あっ! トーコだ!」
「トーコぉ」
「おっそーいトーコったら」
なぜだろう。
みんななぜ擦り寄ってくるんだろう。わからない。
いや、そんなことより、化粧のついた顔で頬擦りしないで。粉っぽい匂いは嫌いだから。ついでに馴れ馴れしく頬にキスしないで。口紅不味いから、本気で。
「おーい。おじさんは寂しぃぞー。
あー、ホラ、おまえら先いって、トーコの飯あるか見てこい」
きゃいきゃい言いながらお姉さんたちが駆けていく。
緩い坂道。公園までもう少し。
人の声が聞こえる。笑い声。調子っぱずれな歌。手拍子と……いろんな音。
「あー……トーコ。ま、今日はホラ、たまにはハメはずして呑もうぜ。な?」
「………………………………」
「桜キレーだろ?」
「………………………………」
「なんだっけ、ほら、あれだ…………細井きのこ?」
「ぶっ」
染井吉野だろう、マツさん。
「あ、いまマジで笑いやがった! チクショウ。せっかく桜アンパン確保しといてやったのによー」
「食べる」
「ったりめーよ。このマツさんが買い物係だったんだぜー。トーコにゃアンパンだアンパンってカヤピーが言うからよ、わざわざ買ったんだからな。ありがたく食えよ」
「うん。食べる」
見上げた空は埋め尽くすような薄桃色の偽雲。覆い尽くされたまだらな夜空は、今夜だけ美しいもので塗りつぶそう。
雨が降り、風が吹き、時が流れれば雲も流れていく。
ひと時だけの、薄桃色の空。
「きれいだね」
「そーだろ? おれのじーさんちの土地なんだよ」
実を言うとボンボンなマツさん。
「貸切だからな。羽目外せよ」
「アンパン」
「はいはい」
風が吹いて、花びらが舞った。
頬をなでていく。
柔らかい。
人の指の平ほど、温かい。
来年も、また。
来年は、もう……
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