頂上付近にはまだ春は訪れない。
麓の鮮やかな緑や、華やかな花々とは無縁というように雪の毛布を被ったまま。木も草も雪に埋もれて上空からは見えない。切るように冷たい風は強く荒々しく歓迎した。
視界に黒い塊が映った。
同族でははっきりとは見えないものが見えるようになってどれくらいか。様々なものを見つけるようになった。
あれは人間だ。
近付いてみると、体を半ば雪に埋もれさせて死んでいるようだ。
瞼が震えて目が開いた。
快晴の日の海を凝縮したかのような青。
目が合うとぎこちなく微笑んだ。
頭元に下り立つと、男はゆっくりと首を巡らし顔を合わせた。
「……どなたか、存ぜぬが……構わずに、いて、くだされ」
ぎこちない言葉。寒さに震える声。しかし口許には笑み--あぁ、これは、と得心した。前にも同じような人間がいた。
「なん、だ。繋がっ、て、おらんのか。……ぁやく、主のもとへ、戻れ」
積もった雪が一部動いた。手を動かそうとしたのかもしれない。
「おまえまで、凍って、は、主殿に、もうしわけ、ない」
男の微笑みはすでに凍り付き、素顔は読めない。
「空が、青いな。
この空を、飛ぶのは、どんな気持ちだ。さぞ、良いものだ、ろ」
答えようがなかった。飛ぶのは当たり前のことで、答えようにも人語など話せない。
「おまえと、主殿は、緩い契約を、している、のだな。使い、の、途中だろう。叱りは、受けないのか?」
使いの帰りだった。用がない時は自由にしろと言われているので、叱りは受けない。
「美しい、羽、だ。主殿に、大事に、されているよ、だ」
主が幼い頃は羽を毟られたこともあるが、今は手入れまでしてもらう。
「空が、青いな」
笑みとは裏腹に哀愁の籠った声は、心情を計れない者まで切なくさせる。
「もし……彼女に、会ったら、伝えくれ。泣かないでほしい、と。わがまま、を、許して、ほしい。わたしの、ことなど、忘れて……幸せ、に……」
覚えきれるはずかない。繋ぎしかできない身はこの場を離れた途端、男のことなど忘れてしまうだろう。
声は徐々に掠れとぎれだす。
そばで立ち尽くすしか術を知らない身は男を正視するのが嫌になった。だが凍ったように体が動かない。
男の眼が小さくなった。