挨拶すらしてもらえなかった男はうなだれ、かぶっている黒い布を取った。真っ黒な黒髪が長々と現れる。

 男は外に出て、小麦粉を払い落とそうと黒い布をパタパタと振る。肌寒い風に白いものが飛ばされていく。その向こうに映る山脈の頭は白い雲に隠れている。

「自業自得だと、思うけどね」

「いたずらされたんだよ」

「今に始まったことでもないよ」

「噂されるばっかりで、なーんにも教えてくれないんだから」

「それこそ、自業自得だ」

「…………」

 男はしゃがみこんで泣きたくなった。

 風の精霊に嫌われているのは諦めるとして、怒られるは嫌われるは、慰めてももらえない。

 今日は厄日だ。占いができれば大凶が出てくること間違いない。

 それで生計が立てられるのなら大もうけだろうに、男は占いが苦手だった。十回に九回は外す。それはもう見事に。へっぴり魔法使いと言われても仕方がない。



「とにかく、小麦粉は挽きなおしだな」

「やる気ない」

「わたしはする気もないよ」

「…………」

 小麦挽きも食事の用意も片付けも、掃除も洗濯も、家のことは何もかも男の仕事だった。いまさらだが主夫は大変だと思う。

 男と同居人には子育ての必要がないとしても、世の中の主婦に拍手を送りたい。



「どうして僕、こんなところにいるんだろう?」

「お役目だから」

「うん」

 身も蓋もない。

「文句があるなら、上に言いたまえ」

「言ったよ。たくさん。言いました。イヤだって。こんな山のすその田舎村に赴任だなんて!」

「……名誉ある左遷じゃないか。これまでより、生活に余裕もある」

「潤いがない!」

「潤い?」

「美人なおねーさんがいない!」



 死活問題だ。

 村民の三分の一が老人で、守備範囲はことごとく既婚者。隣町に行くのに半日かかるような丘に囲まれた村で、楽しみといったら何もない。土とともに戯れる趣味が男にはないのだ。



「むかし、田舎の純朴な子もいい、とか、言っていたような気もするけどね」

「言った! 言ったよ! でもね、それはね、あの町は人通りが多かったからいいんだよ。旅先での束の間の恋なんてたくさんあったんだ。

 それがここでは……」



 首都まで三日。医者のいる隣町まで半日。

 木々と川と山脈に抱かれた小さな村は、街道から外れている上に、どうしてもこの村でなければならないような、重要なものを持っていない。ときどき地図にすら描かれないくらい存在が薄く、都のお役人も覚えているのか怪しい。

 病人が養生に来るならまだしも、健康な成年男子が求めるようなものは、大自然以外に一切ない。



「昔ほどとは言わないけど、もっと町がいい」

「けど、この村を指定されたんだろう?」

「うん」

 なぜなのかわかる。

 男にこの仕事を押し付けた上司は、「その節操無しを直せ」と言っているのだ。





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