上巻を読んでるときから思ってた。
途中からもう気付いてた。
もう、誰が犯人だって
誰かが傷付く。
もう犯人なんて出て来て欲しくない。
犯人なんて、最初からいなければいいのに。
あの事件を
無かったことには出来ないけど
奪われた命は戻らないし
忘れることなんかできないから。
でも、だからって、
これ以上傷付く人が出てくるのが
それが誰になったとしても
その誰かが悲しむのが嫌だった。
あと、何人の人が涙を流すのか
何人泣いたら、事件は解決するんだろう。
吉田修一さんの『怒り』
吉田さんの物語は、登場人物を好きになってしまうから。その事件が酷ければ酷いほど、その犯人を認めるのが辛い。
『怒り』も、もう皆好きだもん。この中の誰が犯人だって、もう誰かが傷付くし。私も、その一人だ。もう、誰だって、私の心は痛む。
恐い、恐い、恐い。誰かが犯人らしく見える度に、信じたくなんかない。それが真実であっても、現実として認めたくない。今見せてくれてる姿を、その人だって受け入れたい。今までの関係が全部裏切りだったなんて、そんな悲惨な光景は見たくない。
その中でも、この人が犯人だったら一番被害が少ないのかもって思ってた人がいた。本当は違うのがいいけど、他の人の物語が余りにも苦しんでいたから。この人だったら、一番被害が小さくて済むのかなって。
でもそれは、私の浅はかな思い付きに過ぎなかった。その人が犯人だったことで、きっと被害は一番大きく、最悪の結末が待っていたのだ。
命を奪うこと、前途ある人の将来を奪うこと、非常に重い罪だ。もう誰だって悲しい。分かってた筈なのに、そこには想像を絶する程の悲しみが待っていた。私の想像なんて、本当に取るに足らなかった。
この上無い最大限の怒りが、私を待っていた。恐ろしくて、絶望して、また涙した。
犯人が判明した後でも他の人たちがどうなったか気になるのは、さすが吉田さんだと改めて尊敬した。なんなら犯人は重過ぎるから、少しでも小さな幸せに触れたかったのかもしれない。
そんな想いも少しだけ叶ったり、もっと辛くなったりもしたけど。最初から最後まで物凄く沢山のことを考えさせられる物語で、二冊ともあっという間に読み終わってしまった。
こんなに面白い本をつくれる吉田修一さんを、本当に本気で尊敬した。様々なところに鏤められた、色々な吉田さんの言葉が、私の心を鮮やかに彩ってゆく。
吉田修一さんは、カッコイイ。
また みつけます。