*フィジーでの食生活と子宮頸がん消滅 | *Blay典子の世界日記*

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四半世紀のリゾート暮らしを卒業後、ディープなフランスで生活しています。父が他界した2004年から始めたスピリチュアルな学びや、浮世離れした日常から見えて来た世界、多文化の中で学んだ事、フランスの田舎暮らしなどなど、私の世界のお話を綴っています。

 モンペリエからごきげんよう、ドゥミ仙人こと☆Blay典子です。ご縁をいただき、ありがとうございます。

 

 早速ですが、前回*子宮がん検診の結果とボラボラ島の食生活の続きです。

 

バリ島後、4年近く住んだフィジーで激変したのが食生活。

 

私が住んでいたのは、ヴィティ・レヴ島南西部に位置する、シンガトカ(Sigatoka)🔽

 

 

国際空港のあるナンディー(Nadi)と、首都スヴァ(Suva)を繋ぐ長距離バスの中間地点で、ここでは大きい方の街🔽

 

 

最低限のものが買えるスーパーが3、4軒。

 

常設の野菜市場は品目はそれほどでもないが、品数はまぁまぁ充実しているため、シンガトカは別名「フィジーのサラダボール」と呼ばれている🔽

 

 

土曜日は市場の外にも広がる🔽

 

 

種類は少ないまでも、現地で採れる新鮮な野菜が手に入った。

 

とは言え、ハウス栽培が無いので、旬でない野菜は半年間一切姿を消す。

 

新鮮野菜が手に入ったので、ボラボラの時のように冷凍や缶詰を使う必要が無くなった。

 

レトルト食品も無いし、お惣菜屋も無い、美味しいレストランも無かったので、必然的に毎日自分で調理することに。

 

自然と添加物フリー生活になっていった。

 

美味しいお菓子はオレオだけだったので、お菓子も自分で作るようになった。

 

買えないが、材料は揃うとなると、人間作る気になるもので、うどんや餃子も自作するようになった。

 

フィジー時代がなかったら、きっとここまで料理するようになっていないと思う。

 

 そうなってから、1、2年後に受けた検査で、子宮頸がん3aから2aに寛解。

 

そして、翌年ついに「無くなってますね」と言われたドキドキ

 

孤島にいたので、治療も、もちろん手術もしていない。

 

唯一、参考にしたのは🔽

 

 

世にも美しいガンの治し方

 

突然、肝臓癌で余命3ヶ月を宣告された女性のお話。

 

私が参考にさせて頂いたのは2つ。

 

1. 腹巻&レッグウォーマーをする。

 

2. 生姜湯を飲む。

 

でも、やはり大きかったのは、添加物フリーだと思っている。

 

 一度添加物フリーを知った体は、実に敏感&正直で、人工的な味や匂いが気になり、全く口に出来なくなった。

 

スーパーに行っても、日本に帰った時も、レトルトや缶詰、冷凍食品にはまず手が出ない。

 

以前、よく飲んでいた100%果汁と書かれたフルーツジュースも今はもう一切口にしない。

 

コンビニのおにぎりやお弁当も、匂いが気になるので、全然買わなくなった。

 

 日本は「世界一の食品添加物王国」と言われ、約1500種類もの添加物が認められているそうだ🔽

 

多いと言われている、アメリカで許可されているのが133種類なので、日本は10倍以上ポーン

 

世界一の食品添加物王国は日本だった!危険すぎる衝撃の認可数とは!

 

種類の多さも驚くが、ざっと見回してみても摂取量がハンパ無いと思う。

 

今いるフランスは、コンビニも自販機も無い。

 

日本のレトルト、缶詰、冷凍など、加工食品数の多さは、世界に類を見ない。

 

便利なチューブ入りの生姜やニンニク、数日日持ちする卵料理やサンドイッチなど、生(ナマ)から調理したものは、そんなに日持ちがしないことに気づいて欲しい。

 

ペットボトル飲料も同じ。

 

添加物は微量でも体内に残る。

 

日本人の遺体は腐らないと聞いたことがあるだろうか?

 

 
 がんも人それぞれなので、これが全てとは言わないけれど、添加物のこと、体のこと、ちょっと考えてみませんか?

 

 ではまた次回*À la prochaine !(ア・ラ・プろシェンヌ!)