官房長官の答弁みたいなことをおっしゃいますね。
 司法についての考え方が私とはまるで違うようです。

 

私は彼女を応援していますが、当該裁判については既にプロ同士が法廷で激しく議論を戦わせているわけで、正直私のような法学素人は立ち入る隙が無いな、と感じているところはあります。

 

 裁判というのは、基本的に国民の「常識」が妥当だと判断できるようなものでなければなりません。そうでなければ、例えば刑に服する側にしたって納得がいかないでしょう。

 英米系の「陪審制」裁判では、人に死刑を課すことになる判断でさえ、まったくの「素人」がくだすことになっています。「素人」に理解が難しいテクニカルなところは裁判官が手引きをし、判断に当たって重要な点が那辺にあるかなどについても助言をしますが、最終的な判断は「素人」がくだす訳です。烏丸さんのように、最初から判断を「専門家」の手に委ねて自らの判断を放棄してしまうのは、私からすると、民主的な社会に生きる者として、大いに疑問です。

 

 だいたい、「プロ」なんて言っても、あんなとんでもない判決(二審)を下すような者をどうして、無条件に信頼できるでしょうか。これまでの日本の司法を振り返っても、完全に後退したお粗末な判決でした。

 例えば、民間企業なら先進的な対応も可能だが、公的な機関である経産省に今の段階でそれを求めるのは無理だ、というようなことを言っていますが、これはまったく逆です。公的な機関こそが先頭に立って範を示すようにしなければならない訳で、そうした主旨の判決がずっと以前に出ていることは、少々本気になって調べればすぐにわかる筈です。

 

 あの裁判については、本来ならそもそも起こす必要すらなかったものだと私は考えています。あれは(元)上司がポンコツだっただけのことであり、まともに対応していれば職員はわざわざ面倒なことを始めなくて済んだのです。

 例の「ピルつき」さんに宛てたツイートでも、そうした主旨のことを書いています。つまり、不特定多数が使用するトイレではないのですから、原告の職員が性犯罪を犯す危険性など考慮する必然性はなく、上司は黙って同じ階の女性用トイレを使うことを明確に容認すると伝えておけばよかっただけです。

(印象論になりますが、ワガママをすべて受け入れてしまうのはどうも気にくわない、ちょっとケチつけておかずにはすませたくない――というような感覚が、上司にはあったようにさえ感じられます)

 

 他の女性職員たちの心情に顧慮する必要などありません。一緒に働いている同僚に、犯罪の可能性を想定するなど、そうする方がおかしいだけになるような話です。そして、実際には説明会の前後に、女性職員たちからの苦情などありませんでした。

 だいいち、他の職員について言うのなら、なぜ他の階のトイレならOKということになるのか。原告の性別を把握していないと想定されるから? 階数が違うと言え、同じ省庁で働く他の職員たちに、ずっと何も知られずに済ませるとでも、ポンコツな上司さんは考えていたのか。それなら、もしも知られるようになった場合、いったいどうしようと思っていたのか。合理的な説明などまったく不可能な主張です。

 

 裁判についての様々な問題点は、判決文を読めば「素人」である私にも妥当な判断が充分に可能です。判決文を参照することで、被告や原告の主張、提出された証拠を確認できますから、それを元に判断が可能になるということです。それが不可能だというのでは、民主主義体制そのものも不可能だということになってしまうでしょう。
 

もしも世論のトランスフォビックな傾向が裁判官の心証に悪影響を与えかねないならば、そうした世論に反対していくことが一番彼女のためになるのではないでしょうか。 

 

 ずいぶんと悠長なことをおっしゃるのですね。

 あの裁判について、ちょくせつ取り上げて、トランス擁護の考えを広めてはいけない、どんな理由があるのか、私にはまったく理解できません。

 法廷の外での「トランス擁護」をどんどん盛り上げていくなら、それこそが裁判官の「心証」に影響を与えることになると思います。

 そして、わけのわからない不条理極まる判決を積極的に批判する議論を拡散していくのは、遠慮する必要などまったくない行動であるでしょう。

 それをせずに、抽象的な議論しかしないようでは、烏丸さんの本気度に疑問を感じてしまいます。

 一人の民間人に実際にどれだけのことができるのか、私はそれを問題にしているのではありません。何もないところからトランスジェンダリズムをでっち上げるような人がいると厳しく弾劾するような方が、なぜ不条理な裁判については沈黙をよしとするのか、それが不可解だと言っているのです。

 

 それにしても不可解なのが、男性トイレを「オールジェンダー」に変更するべきだという主張です。

 経産省職員の方と意思疎通がおありなようなことを書かれていましたが、トイレのそんなあり方についても相互の了解があるのでしょうか。ほんとうに、私は不思議でなりません。

 

 前にも書いたように、某カカシさんなどが主張されるのとは逆に、男女含めたトランスジェンダーの人たちの方がずっと犯罪被害にあいやすいのが現実です。

 男たちがウヨウヨしているような場所に、トランス女性が入っていくのですか? トランス男性が入っていくのですか?

 それは、まさに恐怖そのものなのではないかと私には思われるのですが、そうした受け取り方は非常に特殊で稀なものなのでしょうか。

 烏丸さんの想像力の働き具合が、私にはまったく理解できません。

 

 例の「ピルつき」さんが「誰でもトイレ」と呼ぶ類いのトイレは(どうでもいい話ながら、私はドラえもんを連想してならないのですが)、男女のトイレが別にあることを前提にして初めて意味を持つものだろうと思います。

 

まとめやブログに何度も示したように、トランスジェンダーに対する科学的・医学的・精神医療的根拠は日夜更新されており、例えばオートガイネフィリア概念なども研究の根本的な部分に疑義が呈されています。

 

  「根本的な部分に疑義が呈されてい」るというのは烏丸さんご自身の判断ですね。 

  「科学的・医学的・精神医療的根拠」を一つ一つ精確に解説せよとは、勿論もうしませんが、その判断についてはその主体としての責任を持って応答できる筈だと私は思いますが、違いますでしょうか。

 「オートガイネフィリア概念」のどこがオカシイのか、お聞きしたいところです。