菅生神社(宮城県柴田郡村田町) | 碧風的備忘録

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菅生神社(すごおじんじゃ・すごうじんじゃ)

 

宮城県柴田郡村田町菅生に鎮座。旧社格は村社。

御祭神として、六社大権現と呼称される神々、すなわち、

武甕槌命・経津主命・大国主命・誉田別尊・大山祇命・倉稲魂命

祀る。その他に愛宕神社の火産霊命(迦具土命)を合祀している。

 


菅生神社の創建は、坂上田村麻呂公による東征までさかのぼる。

 

桓武天皇の御代である延暦年間(782年~805年)に、

坂上田村麻呂公が東夷征討の勅命を受けてこの地へやってきた。

その際、この地に武甕槌命など六柱の神々を勧請し、

天下泰平・国家安穏を祈願した。

 

そして、坂上田村麻呂公は、神社の中心として

7本の榧(カヤ)の木を植樹したので、これらの榧の木々を

『奥州の七本榧』と称したという。由緒によれば、

現在もそのうちの一株の古跡が現存しているそうだ。

 

第70代天皇である後冷泉天皇の御宇、

菅生の領主であった菅生助八は神社を篤く崇敬しており、

神領地などを奉った。

 

中世には神社は六柱の神々を祀ることから

『六社権現』『六社宮』と呼ばれていたが、明治のはじめに

現在の社名である『菅生神社』へ改称した。

 

また、中世の頃、神社の境内には池があり、そこには

菅(スゲ)が多く生えていて、住民達は菅を使い薦(こも:むしろ)を編んで

敷物とし、それに神饌をお供えして奉納したという。

そんな菅の草が多く繁る地域なので、神社の周囲の地名は

菅生(すごう)を名づけられたという。

 

明治4年には村社に列し、明治35年には近隣の愛宕神社を合祀した。

大正12年10月には神饌幣帛料供進社に指定されている。

 


村田町菅生に鎮座する菅生神社です。

こちらの菅生神社、村田町から坪沼・秋保方面に抜ける

県道31号線沿いに鎮座しています。

場所としては、菅生パーキングエリアのそばになります。

菅生神社鳥居。社殿東側に駐車場もありますのでご安心です。

 

菅生神社参道。石階段左手には神楽殿と社務所があります。

菅生神社では例祭の時に『菅の芽神楽』という神楽が

神前奉納されているそうです。

 

 

入母屋造の菅生神社拝殿。この日は御祈祷があったため、

拝殿の扉が開けられていました。

 

菅生神社の拝殿扁額。

左から『菅生神社』『六社大権現』『菅生神社』『神徳』の扁額が

飾られています。

 

流造の菅生神社御本殿。

銅板葺きで、どっしりとした造りと落ち着いた色合いの御本殿です。

 

 

御本殿の左側にある杉の巨木。菅生神社の御神木です。

由緒にある七本榧ではありませんが、かなりの太さ・樹高の杉です。

宮司さんは『抱きついてパワーをもらっていって!』と仰せでした。

 

境内にあるお地蔵様。

その隣には『日吉山王大権現・不動明王・毘沙門天』の石碑。

境内には他にも鐘楼や馬櫪神(馬の守護神)の石碑があります。

 


菅生神社の御朱印ですが、宮司さんが神社にいらっしゃる

祭典などの時に拝受することができます。
(春の例祭は4月15日になります)
 
もし拝受を希望される場合は
事前連絡してから参拝するといいと思います。
村田町の菅生神社御朱印。
 
菅生神社から少し北に向かえば、
坪沼八幡神社や秋保神社が鎮座する秋保温泉に着きます。
村田町には他にも『奥州の蛇藤』で有名な白鳥神社や
小泉熊野神社が鎮座しています。他にも名所が多い村田町です。
村田町においでの際は、是非神社巡りもいかがでしょうか。
 

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