青木神社(宮城県塩竈市) | 碧風的備忘録

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青木神社(あおきじんじゃ)

 

塩竈市南町に鎮座。

御祭神として青木神を祀る。その他に伊達綱村公を配祀している。

 


青木神社の創建は不明。だが、鹽竈大神に従属する神であり、

古来より鹽竈神社十四末社のうちの一座として、現在地に鎮座していたという。

御祭神の青木神がどのような神かは不明だそうだ。

たぶん、塩竈の地の地主神のような神ではないのかなぁ、と。

 

境内には欅の古樹が生い茂り、社殿の目の前は

国府の津という意味の『香津』と呼ばれ、国府多賀城の港となっていた。

もともとは泥濘(ぬかるみ)がある入江で、貞観11年(869年)の大地震と

津波の後、ようやく付近に人々が民家を構えるようになったころに

社殿なども造営されたのではと考えられている。

 

往古は、枯れた木の根元に祠を建てて『青木之社』と称していた。

元禄3年(1690年)に新河岸町の鈴木勘右衛門が心願成就の報賽として

社殿を再興したという。

社殿が造営されてからは人々に篤く崇敬されて長い年月が経過したが、

慶応3年(1867年)頃に起きた塩竈大火により社殿が焼失。

燃え落ちた御社の跡地に仮宮が建立され、氏子によって

引き続き神事や祭礼が執り行われていた。

大正8年(1919年)、当時の宮城県知事である森正隆の内命もあり、

氏子総代人たちの計画や町の有志からの寄付金によって

新しい社殿を建て直すことができたという。

 

配祀の伊達綱村公はどのような経緯があって配祀されたのかは

不明とのこと。

 

伊達綱村公は貞享2年(1685年)に

塩釜港や塩竈の町への保護政令である『貞享特令』を出します。

『貞享特令』の内容として、年貢の軽減・免除、馬市や見世物芝居の許可、

荷物や材木の塩釜港への優先受け入れ、藩からの下賜金などがあります。

塩釜は大いに発展し、仙台藩で一番の港町になりました。

 

住民は、塩釜港発展に尽力された伊達綱村公に感謝し、

その英霊を鹽竈神社の末社である青木神社へお祀りしたのではと

推測されているそうです。

また、綱村公真筆の懐紙を御神体としてお祀りしているとのことです。

 


鹽竈神社の塩土老翁神のお付きの神々を祀る神社、

その7回目は、塩竈市南町に鎮座する青木神社です。

2013年当時の青木神社参道。右側は2017年現在

空地になっています。周囲に駐車場はないので

車で参拝の方は御釜神社などに参拝されるついでに歩いて

お参りした方がいいと思います。

 

夏の青木神社参道。緑に囲まれています。

 

冬の青木神社参道と鳥居。

 

   

冬の青木神社。入母屋造りの社殿です。

 

 

夏の青木神社は、名前のように青々とした樹木に囲まれています。

青木神社の木にまつわる祟りの伝説があり、神社の木の枝を切り倒した者が

目の上にたんこぶを患い、数年後に亡くなってしまったそうです。

 

境内社の古峯神社。古峯神社は宮城県内でも

よく見られる石祠で、本社は栃木県鹿沼市に鎮座しています。

主に火難防除の御神徳の神社として有名です。

塩竈大火で社殿が焼失している青木神社だからというのも

あるのではないでしょうか。

 


青木神社は多賀城市大代の柏木神社が兼務されていますので、

御朱印はそちらで拝受することになります。

青木神社の御朱印。

 

鹽竈神社の末社をお参りするシリーズもこれで終了。

 

十四末社である陸奥総社宮なども御朱印はありますが、

それはまた別の機会に。

なお、陸奥総社宮のそばの荒脛巾神社は御朱印はないとのことです。


< 地図 >