浮嶋神社(宮城県多賀城市) | 碧風的備忘録

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浮嶋神社(うきしまじんじゃ)

 

宮城県多賀城市浮島に鎮座。旧社格は村社。

御祭神として奥塩老翁神奥塩老女神を祀る。

その他に、贈正一位源朝臣融卿を配祀している。


浮嶋神社の御祭神である奥塩老翁神と奥塩老女神は

塩土老翁神のお供の神々のうちの二柱とされています。
 
『奥鹽地名集』において、奥塩老翁神と奥塩老女神は、
東宮神社の御祭神である東塩根老翁神と東塩根老女神と共に
丸木舟に藻塩草を積み込み『びわの浦』に送り届ける役目を
担っていたとされています。
 
また、江戸時代に行われた仙台藩の調査において、浮島村の住民が
「浮嶋神社は鹽竈明神の伯母を祀っている」と答えたという記録が
あるそうです。
 

由緒によれば、浮嶋神社がいつから鎮座していたかは不明。
しかし、神社が鎮座している地は往古から歌枕に詠まれている
『浮島』の地に比定されており、浮嶋神社は陸奥国府である多賀城が
創建された頃から現在地に鎮座していた。
 
平安時代である白河天皇の御宇の延久6年(1074)6月には、
鹽竈神社や鳥海神社(出羽国一之宮・鳥海山大物忌神社)と共に
御卜(みうら:神々の意思を伺う占いを行うこと)に預かった神社として
平安時代の詩文・公文書集である『朝野群載』に記録されています。
 
出羽国一之宮・鳥海山大物忌神社 吹浦口之宮拝殿と月山宮御本殿。
 
明治時代に村社になる。しかし、明治39年頃から本格的に始まった
神社合祀の流れを受けて、浮嶋神社も陸奥総社宮に合祀されそうになったが
浮嶋神社は由緒ある神社として陸奥総社宮への合祀を免れた。
 

鹽竈神社の塩土老翁神のお付きの神々を祀る神社、

その5回目は、多賀城市浮島に鎮座する浮嶋神社です。

 

浮嶋神社は、JR東北本線の国府多賀城から北に歩いてすぐのところに

鎮座しています。近くには東北歴史博物館や多賀城碑・多賀城跡もあります。

 

 

浮嶋神社鳥居。境内西側には広場がありますが、

車で参拝される際は神社北側の集会場に停めることをおすすめします。

 

浮嶋神社境内。浮嶋神社は歌枕である「浮島」の名の通り、
平地に浮いた島のような小山の上にあります。
そのため、石階段を登ると、すぐに境内に到着します。
 
 
入母屋造りの浮嶋神社拝殿。
 
 
浮嶋神社扁額と拝殿内部。拝殿内部の幣殿入り口上部には
”旅衣 あさたつ袖を ふきかへす 松風すゝし 浮島か原”
という明治天皇御製の和歌が飾られています。
 
 
朱色が鮮やかな浮嶋神社御本殿。御本殿は一間社流造のものですが、
幣殿と御本殿の屋根が一体化している権現造の社殿となっています。
 

境内右手には大臣宮神社(大臣神社・大臣宮明神)が鎮座しています。
御祭神は贈正一位源朝臣融卿です。
 
源融公は平安時代の公家で、嵯峨天皇の第十二皇子でした。
また、源融公は陸奥按察使として多賀城に赴任しており、家人としても有名です。
京に戻った後も、赴任地である多賀城のそばの塩釜に愛着があったようで、
自宅であった六条河原院に塩釜の風景を模した庭園を作り、そこで
海水から塩を作る作業を楽しんでいたということです。
 
また、源融公は、紫式部が著した『源氏物語』の主人公である
光源氏のモデルとなった人物の一人とされています。
 
浮嶋神社に配祀されている源融公は、もともとは大臣宮神社の御祭神で、
大臣宮神社は永くは浮島村高平(現在の多賀城市城南一丁目)に
鎮座していましたが、明治41年に浮嶋神社へ合祀されました。
その際、旧社地に鎮座していた石祠を浮嶋神社へ合祀したのだそうです。
現在の大臣宮神社旧社地。JR東北本線の線路沿いの
民家脇に玉垣と石標が立っています。
 
浮嶋神社拝殿内部に掲示されている、昔の大臣宮神社の絵図。
大臣宮神社は鹽竈神社の末社のうちの一座であり、
絵が描かれた当時は『大臣神社』という社名で書かれております。
絵には大臣神社の流造の社殿と石碑のようなものが見えます。
(総代長さんの許可のもと撮影)
 
現在の大臣宮神社(大臣神社)。
背後の石碑には浮嶋神社の由緒が書いてあります。
 
 
大臣宮神社の石祠。
よく見ると『大臣宮二座合祀』と石祠中央に書かれています。
浮嶋神社の総代長さんにこの件について伺ってみたところ、先代総代長などからは
源融公以外の大臣宮神社の御祭神については聞いたことが無いとのことでした。
 

大臣宮神社の他に、境内社として八幡神社と稲荷神社が鎮座しています。
 
八幡神社。御祭神は八幡大神(応神天皇・誉田別命)
多賀城が隆盛の頃、城の鎮護神として政庁の北西に
八幡神社を勧請したと記録にあり、こちらの八幡神社は
多賀城の守護神の八幡大神をお祀りしたものとされているそうです。
昭和初期には出征兵の武運長久祈願がされていたとのこと。
 
稲荷神社。御祭神は稲荷大神です。
もともとは氏子の蜂谷家の敷地内で屋敷神としてお祀りしていたものを
浮嶋神社の境内に遷座したものだそうです。
 
『御神石』。氏子であった加藤勇一氏が満州に渡り無事に帰国できたことへの
記念として、昭和15年に浮嶋神社へ奉納された手水鉢です。
自然石を用いたもので、水盤が縁起の良い末広がりの扇形になっています。
 

浮嶋神社の御朱印ですが、以前は授与を行っていませんでしたが、
ここ数年の間に作成されたそうです。
浮嶋神社の御朱印。御朱印帳があっても、授与は書き置きの物のみとなります。
基本的に例大祭などの祭典の時に授与されています。
 
もしくは、志波彦神社・鹽竈神社にある宮城県神社庁塩竈支部事務局が
御朱印の管理をされていますので、御朱印を希望される場合は
必ず事前に電話で問い合わせしてから志波彦神社・鹽竈神社へ御訪問下さい。
(授与していただく場所が志波彦神社・鹽竈神社の御朱印授与所とは違います)
 
その他に、浮嶋神社では神札や御守、交通安全のシール型御守などの
授与品があります。由緒書などと一緒に総代長さんが管理されているので
希望される場合は、同じく塩竈支部事務局経由で対応してくれると思います。
 
古来より和歌の地として有名な浮島に鎮まる神々の御社です。
多賀城跡や多賀城碑と併せてお参りしてみてはいかがでしょうか。
 

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