『奥鹽地名集』と鹽竈の神々 | 碧風的備忘録

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宮城県の塩竈市に鎮座する、奥州一之宮である志波彦神社・鹽竈神社。

その鹽竈神社別宮には、主祭神の塩土老翁神がお祀りされています。

 

塩土老翁神は伊邪那岐命の御子の一柱であるとされ、

『日本書紀』では、日向国に天降った天孫・瓊々杵命に

笠狭岬で国を奉ったとされる事勝国勝長狭神と同神とされています。

また、有名な海幸山幸の話でも、火照命(海幸彦)の釣り針を無くし

悲観にくれている火遠理命(山幸彦)を海神の宮へと導く神とされています。

 

鹽竈神社は昔は『鹽竈六所大明神』とも呼ばれ、塩土老翁神は

事勝国勝長狭神・猿田彦神・岐神・衝立船戸神・興玉神・太田神という

神々とも同神とされていたそうです。

鹽竈神社では安産の神とされていますが、海上安全や知恵・導きの神という

『海の道祖神』的な御神徳をお持ちの神様とされています。

 


そんな塩土老翁神ですが、製塩の神としても有名です。
毎年7月4日から6日まで、境外末社である御釜神社では
『藻塩焼神事』という海藻と海水から製塩を行う神事が行われています。
鹽竈神社境外末社・御釜神社
 
塩釜地方の風土記である『奥鹽地名集』には、塩土老翁神が
なぜ塩釜の地で製塩を始められたのかという昔話が記載されています。
 

陸奥の大神である鹽竈の神は『塩土老翁神』と申し上げる神であった。
 
昔、日本に住んでいた人々は皆、顔色が悪く、青白い色をしていた。
それは、人々が「塩」というものを知らず、これを食べないために塩分欠乏を
起こしていたからであった。
 
塩土老翁神は人々を見て悲しまれ、筑紫の海から鯱(しゃち)に乗り、
陸奥国の香津浦(現在の塩釜付近)という場所に着岸された。
塩土老翁神は、東の海にあった「一つの島(籬島のこと?)」に
興玉神を渡され、塩根見・藻根見を探られた。
そして、「一つの島」の前にある「見るが小島(籬島の前にある岩)」という
島の上に塩根見玉老翁神塩根見玉老女神という二柱の神々が出現なされ、
海底から藻塩草を浮島のように刈り取った。
 
塩土老翁神には十四柱のお供の神々がおり、
東塩根老翁神・東塩根老女神奥塩老翁神・奥塩老女神
皆で丸木舟に藻塩草を積んで、びわの浦(現在の尾島町と新富町付近)という
場所まで漕ぎ寄せ、浜に上がられた。
藻塩場老翁神・藻塩場老女神が藻塩草に塩水を汲んでかけ、
それを乾かすという作業を数回繰り返し、びわの浦の藻塩場で藻を焼き、
藻塩・荒塩・灰塩に焼き固められ、俵にして舟に積み、
藻塩場老翁神が七釜甫出浜(現在の御釜神社鎮座地付近)に漕ぎ着けられた。
七塩老翁神八塩老女神は藤浦という所で藤の木や柴梱(枝をまとめたもの)や
薪を舟に積み、甫出浜に漕ぎ着けられた。
 
奥津彦老翁神奥津比啼老女は釜を生み出され、
荒塩老翁神塩多禮老女神が灰塩を七つの壺へ垂れ通されると、
作田比啼神・和賀佐比啼神・於奈美比啼神・藻塩比啼神・多利水比啼神・
小塩比啼神・八塩比啼神という七柱の女神たちが七つの壺の垂り水を
七つの釜へ塩桶で汲み入れられ、十四柱の神々が竈の火を焚かれると
七つの釜の炎の勢いが盛んになった。
 
藻塩場老翁神と藻塩場老女神、塩道老翁神塩道老女神
七つの釜の炎の様子を見て回り、香津に住む人々に塩を焼く方法を
教えられると、七釜老翁神と子の塩守老翁神は塩土老翁神の命を受け、
人々に塩を配り与え、末代までも塩を食べさせて寿命を授けられた。
人々の見て、神々はニコニコと顔をほころばせて笑い合い、舞い歌われた。
 
塩土老翁神の命を受けて、藻塩・灰塩・御塩ができたので、
老翁神や老女神たちは皆、甫出浜に鎮まられた。
塩土老翁神は一森山の『青葉芦萱蓬月宝殿』に鎮座され、
老翁神・老女神たちは尾島の大森山に鎮座されたという。
 
さて、神々が塩を焼いたとされる七つの釜だが、
今は四口が御釜神社の神釜奉置所に現存しているが、
残りの三口は盗賊により持ち去られたという。
御釜神社の神釜奉置所。内部には四口の神釜が安置されています。
 
そのうち一口は現在の新浜町三丁目の東北区水産研究所の東側にある
内裡島付近の『釜ヶ渕』という場所に沈んでいるという。
 
もう一口は、塩竈市野田のJR塩釜駅近くの陸橋付近の
『釜田』という田んぼの中に埋もれていると言われている。
(釜田はヨークベニマル塩釜店付近にあったというが、現存せず)
 
最後の一口は、富谷町志戸田に鎮座する、延喜式内社の
行神社(別名:塩竈殿)の前にある池の中に沈んでいると伝えられている。
延喜式内社・行神社(塩竈殿)と、釜が沈んでいると伝わる池
 

以上、塩竈の製塩にまつわる神々のお話でした。
 
製塩の神話に出てきた神々ですが、老翁神・老女神たちが
鎮まられた尾島の大森山には昔、藻塩場神社という神社があったそうです。
海が荒れた後、尾島より先の浜辺には藻塩草が大量に打ち揚がるが、
塩釜側には全く打ち揚がることがないといわれていたそうです。
その境界線付近に鎮座していたのが藻塩場神社ということですが、
現在、尾島の大森山ともども現存していないそうです。
 
次回は、現在も鎮座している、塩土老翁神のお供の神々を祀る神社についての
記事を書いてみたいと思います。