箱根駅伝観戦記2006~エピソード1~ | ブランコのコはコーキのコ

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こうきをあえてこーきと書きます。それが私のこだわりです


“エピソード1”としたのは、これが2006年当時に書かれたものではなく、記憶を頼りに書き起こしたものだからです。


 


200612 僕らが初めて箱根に駅伝を観に行ったときの写真が出てきたので、ここに綴ろうと思う。もちろんデジカメなんて代物を当時持っていなかったので使い捨てカメラである。つまりそれをデジカメで撮って載せました。 このときはどういう経緯で箱根に行くことになったのかは覚えておらず、とりあえずゴールのタイミングを目掛けて行けばいいだろうということで、スタート後しばらくしてから家を出た。しかも下調べも全くやっておらず、目的地の場所から、行き方、交通情報、何も情報がないまま、とりあえず箱根湯本に行けばいいだろうという甘い考えで電車に乗った。 シゲと合流し箱根へ向かうのだが、ケンチはいない。当時僕らは大学1年生。ケンチは浪人中なのでまさに受験戦争の真っ最中だった。 箱根湯本に到着した時点で選手も同じところを走っていた。ゴールの瞬間目掛けて出てきたので当然と言えば当然である。ただ僕らはここから芦ノ湖へ行く手段を知らないので、とりあえず人の流れに付いて行った。そして箱根登山鉄道に乗ってしまった。ちなみに正解はバスかタクシー。この人の流れは駅伝ではなくただの箱根観光の人々だった。 そうとも知らず意気揚々と乗車。これからランナーは険しい山上りに入る。かたやこっちは電車。なのでまぁゴールには間に合うだろうと呑気に満員電車に揺られる。山梨学院のジャージを着た人たちもいたし。 そういえばどこで降りたらいいのかも僕らは知らない。ゆえにその山梨学院の人たちをマークすることにした。彼らが降りるところがおそらくそうだろうと。 しばらくして彼らは電車を降りた。しかし、明らかに何もないところである。きっと彼らは宿に向かったんだ。僕らは自分の勘を信じ、そして薄々感付き始める。この電車ゴールに行かねぇんじゃねぇかと。 そう、この電車は強羅行きだった。 僕らは次の駅で降り、大きな道に出た。雰囲気的に5区のコースだ。だがガランとしている。確実に選手は通過したあとだ。ここで初めて電車では目的地に行けないということを知る。最初歩いて向かおうと思ったがさすがに無理なのでバスに乗る。元々交通規制のかかった一本道なため、バスが走ってる時点でもうゴールの瞬間を見届けるのは不可能とこのとき悟った。 バスには明治の部員が数名乗っており、彼らの会話からレース状況を知った。余談だが今でこそ明治は上位争いを繰り広げているが、実はこの2年、かなり久しぶりの出場と騒がれていた。しかし古豪復活と謳われつつもやはり下位に沈む。なかなか歴史を感じる。そして気になるレース結果。優勝はなんと順天堂。まずこれに驚き。元祖山の神・今井正人が初めて天下の険を制した年だ。シゲの応援している東海大学は僕らが家を出る時点で確か上位。さらに5区はエースの伊達が走る ということでシゲは朝から嬉しそうだった。しかしなんとその伊達が大ブレーキ。シゲは最後まで信じなかった。 芦ノ湖に近づき、初めてあの大鳥居をくぐる。興奮。そしてゴールに到着。 小雨の降る中、すでに選手はゴールしたあと。人もほとんどいなかった。号外を受け取り、ようやくシゲも現実を受け入れた。 実際に駅伝観戦は湯本のところでチラッと見た以外はしていないが、とにかくこの地に来れたことが嬉しく、ひとしきり写真を撮って満足。のちに恒例行事となるそば、箱根神社、湖畔歩きといったものもこの年から行っていた。 来年で10年目を迎える箱根駅伝観戦だが、紛れもなくこの年が原点であり、芦ノ湖に来るにあたっていつどこでどうやって何が必要かを学んだ大事な年でもある。しかもこの年を最後に12日は雨が降っていない。僕の晴れ男伝説の原点も実はここにあったりなかったり。 最後に箱根神社で受験生のケンチに合格祈願の勝守を購入。


その年ケンチは大学に合格し、そして今の奥さんと出会った。


彼がいま幸せな家庭を築いているのも、全ては箱根が原点なのかもしれない。



箱根駅伝観戦記2007~始まりの2年目~
へつづく