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2011年3月11日

東日本大震災のあの日

ショールームで商談中のこと

気心知れたクライアントと

差し入れのチョコレートをいただきながら、珈琲を飲もうとした時

カップが揺れだしたのを思い出します。

揺れに半ば酔いながらも、掛かってくる仕事の電話を取っていました。

この時はまだ被害の状況は全くわかってなかった。

けれど、家族にも友人も連絡がつかない状態でとても不安でした。


家に歩いて帰り、独りぼっちで留守番していた猫の名前を呼ぶと

とても怖かったのかベッドから這い出して私の元へ飛びついてきました。

目には涙がたまっていて、泣いていたんです……>_<…

猫って涙流して泣くんだってはじめて知りました。



その後被害状況がニュースで伝えられる度に私の心は暗く沈み

オフィスから目黒川沿いを歩いて帰りながら泣いた事もありました。

あれから数年の月日が経ち

それでもまだ時々、悲しくて

胸が締め付けられる。


2013年の元旦に陸前高田に行きました。

美しかった陸前高田の街は

津波にさらわれえぐられた野っ原と

瓦礫、被災した建物だけでした。

2年経っても復興は進んでいませんでした。





2019年、8年過ぎた今はもう復興しているのだと思うけど、人々の心はどうなのかなって。

震災ではなくとも、大切な人を亡くした後の喪失感は、突然襲ってきます。
辛く、淋しいばかりです。
以前、TVで美智子妃殿下が被災した子供への歌を詠まれていたのを目にしました。

その幼い子供は
避難所に独りぼっちで、ママへの手紙を書いていました。

ままへ
いきてるといいね
おげんきですか。

こんなに悲しく切ないことを
小さな心にずっと持ち続けて
この子も大きくなっていくんだと。

この子だけじゃなく、何万人もの悲しみがあった。
それでも、生きて残されたものは
前を向いて、泣き笑いして
生きていかなくてはいけないのです。


※岩手にて撮影 小岩井農場

この曲は優しくて癒やされるメロディーだけど、歌詞は厳しくたくましい。
訳してみました。勝手訳詩です。参考にしないでください笑!

Because
手蔦葵 菅野よう子

Someday look back on a young day 
We shared We leaned 
We had we lost
いつか幼かった日を思い出し 
僕たちは思いを馳せて
僕たちが掴んだもの
そして失ったもの

Because... You know 
Tomorrow had another pain
Because we lose
The future is all we have left 
そう…明日にはまた苦しみ悩む
そう…失い続けても
僕たちは、前に進まなければね

One pain one hope 
Too far so close 
We laugh we cry
We live we grow 
苦しみ、希望
近くにある様で遥か遠く
微笑み、悲しみ
僕たちは、生きて 前に進む

Because... Because... We know 
The future is all we have left 
そうだよ…
僕たちは、前に進まなければね

One day somewhere 
Hold on some way
We stand willing
We fall we go
いつか、何処かで
僕たちは、あきらめることさえしなければ
また立ち上がり、前に進む

Because... You know 
Tomorrow plays another hand 
Because we lose
The future is all we have left 
そう…明日なにがあるかなんて誰にもわからない
そう…失うかもしれなくても
僕たちは、前に進まなければね

Oh, we have someday 
Oh, surely someday 
Oh, surely someday 
surely someday 
そう…いつか
いつか、きっと
そういつかきっと