昔、まだ学生だった頃
私はとにかく自己肯定感の低い子どもでした
いつでも自信がなく、なりたいのは
「芯のある人」「自分を持っている人」。
なんでもそこそこできちゃうけど
飽きっぽくひとつのことを継続してやれない
器用貧乏の見本のような
そのことがすごくコンプレックスで、
ふわふわと流動的で定まらない、そんな自分がイヤで仕方なかった
けれど。
気がつけばいつの間にかそこに憧れを抱くことはなくなっていて。
一体いつからだろうと遡って考えてみたら
私の場合おそらくそれは子どもを産んでからだろうなぁ、と。
子育ては選択の連続。
自分がどうしたいのか、どんな子育てをしたいのか。
数え上げればキリがありません。
自分で決めなくては前に進めません。
わからないながら自分の好きな方を選んでいたら
いわゆる子育てのメインストリートから少し外れていました
テレビは見せない
プラスチックのおもちゃは買わない
小学校までは文字は教えない
同じく習い事はしない
今思えば頑ななほど
こうありたい!こうあらねば!が発動してました
そのことで返って自分の首を絞めてしまったりも…
もう少し肩の力を抜いたら?と言ってあげたくなるくらいとにかく必死だったな
周りの子育てと少し違うことを選ぶ、ってしんどいこともあります
変わってるね、と言われることもあったし
気を使わせてしまうことも。
でも自分自身でひとつひとつ選んできたからこそ
そのことが少しずつ自信になってきたのかもしれません
断捨離も同じ。
自分の快不快を自分でジャッジする
過去への囚われや未来への不安を捨て
今の自分にシフトする作業
私自身を作る作業
ひとつひとつ向き合い逃げずに選択するからこそ
自分の芯を作っていってくれる
そうして気がつけば
あの頃の
自信がなくて
コンプレックスにまみれていて
私なんて、と言っていた私はいなくなっていました
自分を信じる、ということは他人も信じられる、ということ。
そして
私は私でいいんだ、と思うこと。
自分で自分を認めてあげるということ。
今はそんな風に思うんです
私はとにかく自己肯定感の低い子どもでした
いつでも自信がなく、なりたいのは
「芯のある人」「自分を持っている人」。
なんでもそこそこできちゃうけど
飽きっぽくひとつのことを継続してやれない
器用貧乏の見本のような
そのことがすごくコンプレックスで、
ふわふわと流動的で定まらない、そんな自分がイヤで仕方なかった
けれど。
気がつけばいつの間にかそこに憧れを抱くことはなくなっていて。
一体いつからだろうと遡って考えてみたら
私の場合おそらくそれは子どもを産んでからだろうなぁ、と。
子育ては選択の連続。
自分がどうしたいのか、どんな子育てをしたいのか。
数え上げればキリがありません。
自分で決めなくては前に進めません。
わからないながら自分の好きな方を選んでいたら
いわゆる子育てのメインストリートから少し外れていました
テレビは見せない
プラスチックのおもちゃは買わない
小学校までは文字は教えない
同じく習い事はしない
今思えば頑ななほど
こうありたい!こうあらねば!が発動してました
そのことで返って自分の首を絞めてしまったりも…
もう少し肩の力を抜いたら?と言ってあげたくなるくらいとにかく必死だったな
周りの子育てと少し違うことを選ぶ、ってしんどいこともあります
変わってるね、と言われることもあったし
気を使わせてしまうことも。
でも自分自身でひとつひとつ選んできたからこそ
そのことが少しずつ自信になってきたのかもしれません
断捨離も同じ。
自分の快不快を自分でジャッジする
過去への囚われや未来への不安を捨て
今の自分にシフトする作業
私自身を作る作業
ひとつひとつ向き合い逃げずに選択するからこそ
自分の芯を作っていってくれる
そうして気がつけば
あの頃の
自信がなくて
コンプレックスにまみれていて
私なんて、と言っていた私はいなくなっていました
自分を信じる、ということは他人も信じられる、ということ。
そして
私は私でいいんだ、と思うこと。
自分で自分を認めてあげるということ。
今はそんな風に思うんです