お客様が求めるものは本当に多岐にわたった。
私が女教師になり、お客様が悪い生徒になって、体罰をするプレイ。
一時間、ひたすら股関を踏み続けるプレイ。
縛るとき、叩くとき、彼等が何を求めて、私は何を与えればいいのか、最初は良くわからなかった。
でも、心理学の本を少しかじったとき、なんとなく理解できた。
パドルやバラ鞭でお尻を叩くとき、音は響くがあまり痛くはない、そんないかにも叩かれている演出を求められるときに、これは母と子供の関係性を表している。
子供が悪いことをして、それに対して母親がその子を罰する。
「お前を愛しているから、お前が悪いことをしたら、お尻を叩くんだよ。」という、ベーシックには愛情を欲する心理があること。
おしっこをしているところを見てほしい、そんなプレイの場合は、幼少期、例えば幼稚園で皆の前でおもらしをしてしまった、「恥ずかしい、でも不思議となんだか気持ちいい。」そんな子供のトラウマが大人になって、歪んだというか、多少変わった性癖として出没することもしばし。
蝋燭を垂らすプレイの時、「熱くて気持ちいい?」と言ったら、「違う。蝋燭が肌に落ちた瞬間、冷えて固まって、それがひきつれる感触が痛くて気持ちいいんだ。」と恍惚とした表情で言われたときは、なるほど、奥深いと納得してしまった。
こうして、痛みと快楽、精神と肉体、心理学や哲学など、相反するものが諸刃の剣であったり、また時としてそれらが複雑に絡まりあった、不可思議な世界を体験しながら、様々なことを学んでいった。
そんなわけで、21歳で、処女喪失を体験した時の、あまりの退屈さに、心の底から驚いた。
「セックスって、たったこれだけ?なんて、つまらない」
それが私がセックスに感じた最初の印象だった。
後にきちんとセックスで快楽を拾えるようになるまでずいぶんと時間がかかったが、それはまた別の話。