17歳の時に、谷崎潤一郎の「刺青」に激しくインスパイアされた。
サディストの入れ墨師が遊女の背中に女郎蜘蛛を彫るだけの短い話だったが、それは私をひどく淫猥な気分にした。電車の中で私は小刻みに震えたのを今でも良く覚えている。
19歳でSMクラブに赴く頃には、独学で亀甲縛りを出来るくらいにはなっていた。が、いかんせん処女。
オーナーのマダムは優しくて、待ち合わせの喫茶店でブランチをご馳走してくれながら、私にリストを見せた。
「あなたに何ができて、何ができないか教えてちょうだい。できるものをお客様にオプションとして提示するから。」と言ってくれた。
こうして、性的経験ゼロの女王様が誕生したのだった。
お客様は社会的地位の高い人々ばかり。医者や弁護士、経営者のオンパレード。
彼等に聞いたことがある。
「このプレイ、奥様としたら?」
答えは決まって「絶対にできない」の一択。
彼等は本来であれば、最も信頼すべき相手にすら、本当の姿を晒すことのできない、哀れな一面もある、ひとりの人間に過ぎなかった。
プレイで一番、大変だったのが言葉だった。
物理的なことの方がよっぽど簡単。縛ったり、叩いたり、押し込んだり。
でも、言葉ほど漠然としていて、変幻自在になり、精神と肉体を支配するものはない。
よって、私は一年で500冊以上の官能小説を読み漁り、勉強に勉強を重ね、演出を考えなければならなかった。
彼等はたった一時間に大枚をはたいていく。
私の日給は当時、10万~13万。
でも、別にお金には興味がなかった。
私は痛みと快楽のからくりを追及したかっただけにすぎず、他の嬢がホストやブランドバッグに走る中、ひたすら貯蓄に宛がった。
ああいった仕事のいいところはお客様を待っている間は何をしていてもいいこと。
私は学生だったので、ひたすらレポートや検定の勉強に明け暮れながら、お呼びがかかればプレイに入るという、奇妙な時間を過ごしていた。
半年後には、かなりの額が貯まり、その頃には私は痛みと快楽の仕組みにすっかり飽きて、また、金銭感覚が狂うのをおそれ、就職活動に専念することになったのだった。
最終的には単位を10単位以上多く取得後、無事卒業し、あっさり大手物流会社へ就職。
リーマンショックの起きる、2年前の話である。