結婚後しばらくしてから先生ご夫婦は帽子制作の拠点を港区の青山に決め、2階建ての一軒屋から始まり、国道246号に面した土地に1階が店舗の建物を造ります。

 

 

 

青山通りに面したお店、奥にアトリエがありました。

 

 その後やってくるバブル経済により、不動産業者が青山周辺に住む個人所有の土地を買いあさり、正美先生も次々抜けていくご近所の状況からいよいよ住み続けることが出来なくなってしまいました。

 

 青山通りから道1本六本木方向にに入ったところに等価交換で土地を得て、貸しスペース、帽子制作のためのアトリエ、住まいの、3階建てのビルを建立、現在に至ります。

 

 正美先生はこの間の緊張に神経をすり減らし、食事もなかなか進まず奥様によくおかゆを所望していたとのことです。

 

 さっぱりした気性で情に厚い奥様の、心身両面にわたる支えもありました。