壬申の乱 (じんしんのらん)を ひも解く
◆ 壬申の乱 について
天智天皇直系の相続を阻んだ古代最大の戦乱
天智天皇が中大兄皇子の時代に、百済(くだら)が唐・新羅(しらぎ)に攻められた
中大兄皇子は百済旧援軍を朝鮮半島に派遣するも、(白村江 はくすきのえ)の戦い
(663年)に敗れ日本軍は百済亡命貴族と共に帰国、こうして外交的危機に直面した
中大兄皇子は、対馬、壱岐、筑紫に 防人(兵士)らを置き西国の防備を固め、
国防上の理由で都を飛鳥から近江大津へ移し天智天皇となった。
天智天皇は息子の大友皇子(弘文天皇)を皇太子として跡を継がせるつもりだったが、
天皇が没すると出家,吉野にいた天皇の弟、大海人皇子(天武天皇)が地方豪族を味方にし
兵を挙げ近江朝廷の軍は大敗を喫し弘文天皇は自害してしまう、
これが(壬申の乱)と呼ばれる大乱である。
古代史上最大のクーデターとして取り上げられその当時の政治・世の中の動向を知る上で
”壬申の乱”は 重要な鍵を握っていたのでした。
壬申の乱 相関図
◆ 滋賀県蒲生郡竜王町の大海人皇子像が有ります
是非機会が有ったら、地域文化触れ合いを込め、探索に行ってみたい。
◆ 壬申の乱 人物像
天智天皇 (てんじ てんのう) 626~672 第38代天皇、律令体制成立期の
政治を指導した
大友皇子 (おおとものおうじ) 648~672 壬申の乱で大海人皇子に敗れ命を絶つ
大海人皇子 (おおあまのおうじ) 後の天武天皇
天武天皇 (てんむ てんのう) 飛鳥時代(673~686) 第40代天皇、
天智天皇を兄とし、天皇による中央集権体制を確立した。
◆ 壬申の乱 関連キーワード
古代 内乱 672年 百済 新羅 皇位争い 1350年前 天智天皇
中大兄皇子 大海人皇子 大友皇子 天武天皇 元年 勝利 弟 敗北 子
弘文天皇 自害 白村江の戦い 遷都 飛鳥 近江大津 大海人皇子像
地域文化 蒲生郡竜王町 瀬田川決戦 勝利 壬申の乱終結
◆ 終わりに一言
何故1350年前の壬申の乱が、これほどまでも現代に語り告げられ、人気なのか調べると
現代社会に繋がる天皇制・国の法律・制度は法治国家の基礎となる先駆けになったのが
壬申の乱なのです。
ご機嫌よう
