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DIVE TO LIVE AND LIFE

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ここまでの人生において
どんな場面もいつも入口はキツかったし苦しかった。

ずっとサッカーをしていた。

小学時代は遊びでやってたサッカーでは誰にも負けず、
上級生にサッカー少年団に誘われ、
3年生から入団した。

4年の時にはレギュラーの試合にも出ていた。
6年になった時はキャプテンを務め、
練習はシュートやゲームメインで
わりとワイワイやったりしていた。
強いチームではなかった。


中学に入るとすぐにサッカー部に入部した。
この中学は地域の3つの小学校から集結した生徒で構成されていたので
サッカー部の新入部員も隣町の小学校チームの連中が多かった。勿論顔を知っている奴もたくさんいた。
俺の小学校からサッカー部には俺を含め5.6人が入部した。

俺はシュートの技術やパワーは負けない自信があった。

練習が終わると隣接している川の堤防を走り込むというこの中学の部活伝統の「地獄」があった。
1周500mくらいあったかな?それを10周。
終わった者から帰宅。

隣町の小学校から来た連中はワケもなく10周をこなして帰っていった。
俺らの小学校からきた連中だけが全くついていけず、
俺も含めて倍以上の時間をかけて走ったいた。
小学校時代の練習で俺らは体力を強化するような練習をほぼ避けてきたからだ。

それはもう苦しくて苦しくて。やめたく思った。
初日でこんな感じだから本当に参った。
隣町の小学校からきた連中からは俺への陰口で
「あれで元キャプテンだっていうから笑えるな」
と馬鹿にされた。俺の持久走はそんなレベルだった。
先輩達からも見向きもされなかった。

俺の小学校からきた仲間達は
すぐにサッカー部を辞めていった。
俺だけが一人残った。孤独だった。
毎日俺だけが堤防をビリで走っていた。
顧問の怖い先生も俺が走り終わるのを待っていたから
ごめんなさい、って感じだった。

小学校時代は多少技術もスピードもあり、
点も量産し、
上手い上手いって言われていたけど
ここに来た瞬間
何もかもでついてすら行けなかった。
俺はとんでもなくレベルが低かった。


でもやめるのだけはなんか、プライドが許さなかった。


この頃から肉体改造とフィジカルの強化を心に誓って取り組んだ。


とりわけ自分の長所である
シュートやパス、ロングキックを磨くよう
意識をした。市内でも一番とボールを飛ばせるようになりたかった。





3年になった頃、俺は一軍の攻撃的な右サイドのポジションが定位置となっていた。
体つきも大分変わって、下半身の強化も身になっていた。
強烈なミドルシュートやロングフィード、高速アーリークロス、
それもチームの一つの武器となっていた。
市内で一番遠くにボールを蹴れるという自負もあった。


最後の高体連では因縁の相手に対し
今だに、人生最高のミドルシュート
と言える同点の一発を突き刺せたのは忘れない。
決めた瞬間にチームメイトが押し寄せ
仰向けに倒されて揉みくちゃにされてた時
見えてた雨上がりの空と
乗りかかってるチームメイトの重みを感じながら
一年の最初の「入口」本当にキツかったけど
辞めないで続けて
諦めないで自分なりに努力をしてみて
良かったな、と。
(まだ試合終わってなかったけど)









高校に入学した時も
すぐサッカー部に入った。
同じ一年でも上手い奴が多くて、
俺はなんか一部の先輩達にも
強く当たられ
また「入口」が厳しかった。

そして入部後、高校レベルの高さはすぐに痛感した。

入部後すぐのゴールデンウィークには
マイクロバスで室蘭のサッカーフェスティバルに
参加した。毎年恒例のようだ。
一日に4試合。それを3日間。
俺にとっては地獄だった。

俺は一軍では無かったが、交代で出場していた。
登別大谷と当たった時は
レベルが遥かに違うことを実感した。
というか、一日4試合。ついていけなく怒られたりなんだり。
辞めたくも思った。

バイトして遊んで、
っていう高校生活もいいな、と。



でもやっぱ辞めなくて
小さなプライドが働き続けた。
2年になった時にはレギュラーとなり
フォワードとして試合に出ていた。市内で準優勝もした。
3年になるとまさかのキャプテンを任され、
強くはなかったが無事2年半をサッカーに
費やすことができた。


中高の時代、
今の自分よりもずっと根性があったと思う。
そしてサッカーが好きだったんだなと思う。


俺が部活に向かう途中、
自転車で二人乗りして帰っていく友達カップルとか
カラオケ行くだのゲーセン行くだの
帰っていくクラスメイトをみると
本音では羨ましくも思っていた。


この時代にサッカーを続けてきて、
正直大した爪痕も結果も残せてはいない。
ありふれた並の選手だ。

でも、それでも
険しく引き返したくなるような「入口」に入り
笑って「出口」を通過した

それは今の自分、
当時から見れば20年後の自分に
その事実を突き刺すことは出来た。
出来ている、今まさに今。



俺は確かにあの時代に
諦めずに走っていた。
それは10代後半の若者が
この先どんな未来が待ち受けているか
どんな将来が待っているか

過去、未来
不安や期待、希望や失望や絶望

20年後の今よりもそんな感覚は少なく

目の前のことに精一杯だったし
それが全てだった。
何もかも全てが新しくて。
結果を想像もできなかった。
だから、「入口」に入った。



今は未来と過去の間にいる。
大抵の事は見てきた。
そして大抵の事は予想、想像がつく。
何が起こるか
何が起こるかもしれないか
起こったらどうなるか
昔はどうだったか
懐かしんだり戻りたい、とか


経験と知識が良くも悪くも
あの頃のように前向きにだけ
働くわけではない。
恐怖心や不安が多すぎるんだね。











あの頃のようにこれから
険しい「入口」に飛び込む
勇気と精神はもう、無い。

でもその時は来るかもしれない。
その時は有無も無い時かもしれない。
あの頃には無かった
待った無しの「入口」は
来るかもしれない。



いや、必ず来る。


戦えるか?

ジャンルとか色々あるけど

マイク持ちとしては

聴いてくれる方に

何かしら感動をぶつけたいものです。


2020年、終わりを迎えますが
今年、というか
最近、

LiSAさんの炎という曲のの
THE FIRST TAKEという動画を見まして

少し涙出るほどに感動しました。


アーティストってコレです。


映画や話題でもちきりのLiSAさんですが

それだけじゃ無い

力量に脱帽です。


ほんとはこういうアーティストになりたかった。

ってくらい
食らった。


メジャーもインディーも関係なく
ヤバい。
感動させられる人に勝るモノはない。


正直歌うのをやめたくもなった。



でも
あと少しだけ
きっと

あんなことや

こんなことも

あの頃は〜

って昔話になるように


受け入れることも

抗うことも

人生。