前回


 



大人の見解

祖父の面倒を見ようか  なんて言葉は
叔父から一度もかけられたことはない。


当時の叔父の考えは、
「 が亡くなった時、
≪私≫は高校生だったので
そんな話をするステージにまだ立ってなく、
年寄りを地元から離すと一気にボケる
と思ったから何も言わなかった 




福祉科の先生は大体陰湿(小声
そして私は高校を中退
物心ついた時から
祖父とその兄が一緒に暮らしていたため
絶対将来役に立つし必要になる!と思い
片道2時間ほど電車通学していた福祉科も
結局ヘルパー2級取得にとどまり、
お国の精神もったいない反した
非国民となるグラサン





ホップ  ステップ  落下
その後バイトを掛け持ちし、
ブラック企業も引くくらいの
労働時間を毎日こなし、
しっかりと10代の非行もこなし
警察にお世話になりつつ、
途中1年間のガチ引きこもりも経て

・この家があるせいで
    一生地元を出ることもできない
・人生はもう決まった。詰んだ。

と青くさく絶望したまま
大人の階段を
全力の後ろ向きで登っていった。









大黒柱に、俺はなる


その後、20歳になったと同時に
とうとう法律の力で
家の名義が私に移ってしまう。

間接的にお金を出していたのが、
ダイレクトに支払いを行う立場となる。
そして固定資産税なんて言葉を
初めて知ることになるわけである。




家って
ローン払って
終わりじゃ
ないんですか



ディープインパクトに勝る衝撃だった。






でも、
固定資産税

…ほう。
なんか響きかっけぇな!!





脳が
ふわふわわたがしだった新成人の頃でした☺︎︎




続くニコ










町の見守り隊ソフー隊長