こちらの祖父は、
たまごボーロ3つを口に入れて
モグモグしはじめてから
10分経とうとしている祖父である。
たまごボーロも
ボーロ冥利に尽きるであろう。もぐもぐ



 


高齢者は環境の変化に弱い

初めてのショートステイから

帰ってきた日のじいちゃんは、

しばらくボーッとしていて覇気がなかった。

声も小さくて、こじんまりと座ってた。

 

それは、じいちゃんが

人生で初めて温水洋一になった瞬間だった。

以後、私はひそかにその形態を

借りてきた温水洋一と呼んでいる。

 

 

 

 

 

2泊3日で家すら忘れる

ショートステイから帰った日、

家に居るにも関わらず、彼は

前の家にはいつ帰るんかの?と言った。

10年愛用してきた座椅子に座りながら。

 

台本に書かれたようなボケに

吉本新喜劇かよと私は思うのだけど、

彼はいたって普通なのだ。

家にはいつ帰れるんだろうニコ と、

ただ普通の疑問を持っているのだ。

漫才でも何でもないのだ。

 

だから私は

ツッコミたいのを我慢して笑いながら

じいちゃん、実はここ家なんだぜ!? デデーンッ

なんて風なテンションで返す。

 

ええっΣ('ロ')!!

あ、そうじゃ。家だった!あはは

と奴は照れ隠しをして、ごめんごめんと笑う。

 

こういう時は、心の中で私も叫ぶ。

 

 

可愛いかッ

 

 

 

 

 

消せない罪悪感

家にいるのに家と認識しない現象は

3月に病院から退院した時も起きてた。

 

ショートに行くたびこうなるのか

この環境の変化を繰り返して

認知症が悪化してしまうかも

と、私も少し不安になり罪悪感が増した。

 

 

未だにデイやショートに預けることへの

罪悪感を拭いきれてない私がいる

分かってても込み上げてくる感情がある。

止められない自責の念が

こっそり私の中に住みついてるのです。

そりゃさすがのかっぱえびせんも

いい加減にしろと言う。

 

 

 

でも、うちのじいちゃんは

本当にデイが大嫌い!なご様子。

毎日、それはもう隙あらば、

こっちから聞いてもいないのに

明日は行かんぞ!と宣言してくる。

 

あまりにも嫌がるから

こっちのかっぱえびせんが

止まらないのも仕方ない。

彼は、週2のデイ警戒して

絶えず毎日言ってくるのだから。

この隙のない危機管理能力を

日大アメフト部に伝授してあげればいい。

 

 

 

 

 

寂しいのはどっちなのか

そんなじいちゃんも3日前、

2度目のショートステイから帰宅

前回と違って、

ボーッとすることもなく

いつもどおりに家中ウロチョロしている。

 

 

私はというと、

じいちゃんが居ない土日に、何度も何度も

ハッ こんなにのんびりしてたらまずい!

そろそろじいちゃんの傍に行かな!

と、本当に何度も突然思い立っては

あ、今居ないんだった     と…

それはもうしつこいほど何度も繰り返してた。

 

 

習慣という麻薬

上記の衝動は、デイ利用時もある。

普段ゆっくり聴けない音楽を楽しんでいても

ふとした音が、年寄り特有の呼吸に聞こえて

じいちゃん背後にいるんじゃね?

なんて思ったり、

家のどこかで小さな音がすると

じいちゃん帰ってきてんじゃね?

なんて思ったり、

居ないのに常に存在してるような錯覚を起こす。

 

どっちが依存してるか分からんニコ

これは介護者あるあるなのでしょうか。

 

 

 

 

 

充電ばっちり

昨日、ケアマネさんが来た際は

シンバル持った猿のオモチャ

壊れたかのように、ずーっと喋り倒してた。

 

ショートステイで

静かな利用者さんに囲まれてたからか

彼の口がもう我慢ならねえと爆発した。

 

マシンガントークとはよく言ったもので、

うちの祖父は、口に猿を飼っているようだニコ