私はその時々の環境で出会う人をなるべく尊敬するようにしている。どんなに性格が悪い人にも、どんなに成績や仕事ぶりが悪くても、何もかもに問題がある人はいない。
人には人の数だけ強みがあり、その強みを把握して尊敬して意識していると、その尊敬している部分に助けられることが大いにある。これは私の経験則だ。
自分よりも格下だ尊敬する部分なんて存在しないなど、他人の価値や可能性を勝手に決めつけている人の視野が哀れに思える。そんなことを言う誰かを尊敬している別の人だって存在するはずなのに。
私は今の生活の中で近しい位置にいる人たちを一応尊敬している。一部義憤にかられてぶん殴れたらと望む人もいるけれど、その人も違う部分では一応尊敬している。
努力を重ねて正社員になった人、若造といった風に見られながらも物怖じせずにいろんな仕事をやり遂げてきた人、社畜な勢いで仕事をこなす人(黒い会社ではないと思うので正直仕事量減ればいいのにと願う)、
綺麗でかっこよくて仕事ぶりが丁寧な人、神がかった才覚を発揮して仕事に繋げる人、多趣味でいろんな会話が弾む人、ただそこにいるだけで美しかったり可愛かったりする人、などなど。最後のやつだけちょっと毛色が違うかもしれないが。
変わりゆく環境の中でもその都度特に尊敬してしまうのは、意志が強い人だ。
何があっても道を切り開ける意志を持った人には、たとえどんなに冷酷でも筋の通った行動が伴っている。
私はそんな人に拾ってもらったし、見限られてもきた。それでもそれが縁の切れ目だと思えた。
見限るか迷いながら受け容れられていたらきっと、私はその人を心底軽蔑しただろう。
もしその時々の環境にいる人で、尊敬していた人を尊敬できなくなってしまったら、私はきっと離れてしまうだろう。
思えば最初に勤めた会社でも、仕事に付いていけなかったのが一番の退職理由だったけれど、
入社当日にお世話になった先輩を尊敬できなくなってしまった自分に失望したことも大きな理由になっていた。私の視野が狭くなった、傲慢になっていた自分も嫌になったのだ。
現状では家庭があり、子供もいて、そうするっと簡単に決断とはいかないかもしれないが、私はどんな状況でも動けてしまうタイプである。
ことを十二分に自覚しているので、そんな日がまた来なければいいと思う。そう、いつも願い続けている。



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