人生は真っ白な切符を出発の合図と一緒に渡されて、終点までひたすら毎日という停車駅を書き記しながら進んでいくものだと思う。
たとえ前世というものが存在していたとしても、まったく同じものはないと考えている。
たとえ出自や生き方をなぞるように生きていくことを運命づけられていたとしても、その人の周りにいる人々やものたちは確実に前世とは違うからだ。
何もかもが前世をなぞるような環境や生き方を強いられるのは、進み続ける時間の流れに置いていかれるような気がして切なくなってしまう。なんだかSFっぽい話になってきたような。
その前提があるから、どんな実話でも、フィクションでも、人生を垣間見ることへの興味が絶えないのだ。他人の切符を見せてもらうことへの興味と申し訳なさも一緒に感じながら。
たまにこちらが意図しないタイミングで、切符の内容でもこれはとびきりデリケートなものではないのか?、ということを、軽く開示されることがある。
そんなときの大抵の私の反応は、えっ嬉しい聞けて!といったものとは真逆で、これは聞いてしまってよかったのかとたぶん本人以上に重く受け止めてしまう。
血が滲むような文字で刻んだ私の切符の内容はそうそう他人に教えないのに、他人の持つそれと同等の内容を一方的に聞いてしまうと、なんだかフェアではないように思えてならないのだ。
私は言えないのに他人のものを聞いてしまった。その状態ではいけない。私も機会があれば言わなくては・・・いや言いたくないんだけれど。なんて堂々巡りを始めてしまう。
その目に触れるかは分からないけれど、私は私が意図せずに触れてしまった他人の切符の分だけ、私の切符の中身を公開しよう。内容がどんなにアレでも。
なんだかこのエッセイは、こんなポリシーのもとで書いているような気分になってきた。いや当初はもっと、軽い気持ちで軽い内容を書いている予定だったのだけれど。



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