私はせっかちだと自覚している。何に対しても気が逸ることが多くて、なんだかその積み重ねでせっかちになっている気がしないでもない。
同じくらい面倒くさがりで大事なことをどんどん後回しにしていくこともよくあるので、怠慢にならないために身に付けたせっかちのようにも感じたりする。
せっかちはせかせかと動くだけではなく、考えたことがするっと躊躇なく口から飛び出しては後から投げた相手の反応が気になったりと、
いろいろ弊害ももたらしてくれているような思いあたりはあるものの、もはやせっかちではない自分を想像できない域にまできていて今後も改善できる可能性は低いとも自覚している。


私はたぶん、「ゆっくり進んで」みたいに言われることがあまり好きではないのだと思う。最近言われたケースでは産休育休からの仕事復帰だ。
どのくらいゆっくり進んでいいのだろう、目指す場所は私を待っていてくれるのだろう。ゆっくりすぎると置いていかれるのではないかと、臆病者の自分が顔色を窺おうとする。
そんな自分を振り切って進むためには、せかせかと駆け抜けるように、一秒でも早く前進しなければいけない、と思っていた。
置いていかれるのが怖いなら、その手を掴んで喰らい付いていくくらいの気概で臨むしかないのだと。
このへんは別のお題で書いたことにも繋がっていくのだけれど、この性分はきっとプラスにもマイナスにも働きかけている。
せかせかと問題をいなしながら進む代わりに、何かにぶち当たると暫く動けなくもなってしまうのだ。


もちろんゆっくり仕事を覚え直してと言ってもらえたことが百パーセント嫌だったわけではない。
これに限らず、無理をするなと言ってもらう状況の大概はせっかち性分が露呈しているからなのだけれど、たとえ社交辞令でも穿たずにありがたく受け取っている。
人員的にギリギリの状況なのに、部署のみんなが気を遣ってくれている現状がありがたくて、同じくらい申し訳なくて、
そんな人たちに囲まれているからこそ、無理をしているようにきっと見える、このどうしようもないせっかちを発動させたくなってしまうのだ。
気付いた時には追い付いている、そんな小さな驚きを、いつか温かく受け容れてくれた人たちに渡したいのだ。
どんな些細なことでも吸収して未来に繋げていきたい仕事も、個性的なのに芯の部分は粋な人たちも、
どちらもが両立して、私の天職になろうとしているのではないか、もしかして休職前からそうなっていたことにやっと気付けたのか、
そんなこともふとした瞬間に、考えたりもしている。



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