誰かに傍に居てほしいと求める時、心のどこかに空白があるのだろうと考える。
本人に、空白があるという自覚が無かったとしても。
求める誰かが隣にいてくれたら、手を握ってくれたら、それが温もりのある生きた人間だと分かったら、
安心できる何かが、あるのだと想像する。
いや、想像だけではなく、私自身も、ふとこんな一人暮らしの夜に人恋しくなると、
滅多に無いのだが実家に帰りたくなる。好きな人に会いたくなる。
仕事でミスをしたときや、何気ない瞬間で嫌な思いをしたり、もやもやと考え事をしたとき。
隣に誰か居てくれたらと、ふと思う。それはきっと、空白を埋めたいという弱さの一部だ。
けしてそれが弱さや脆さを見せることだと、避けたいわけではない。
他人のそういう気持ちを不快に思うこともない。
逆に、その一言は、その誰かからのサインなのだと思うことにしている。
何かあったから、会いたいと思う。逆に、会いたいのだと思われている。
それはとても自然なことで、健全なことなのだと思いたい。
何も言えず、抱えたまま、心を閉ざしてしまう人だって、沢山いる。
私も普段は、誰かの迷惑になるからと遠慮することのほうが多い。
それでもたまに、衝動でもいいからこの空白を埋めるために動かなければ、
自分を取り戻すというか、明日から頑張れるという元気というか、
そういうものがどんどん失われていくんだという危機感を感じて、誰かに声をかける。
そしてそれは、近しい人だけではなく、時に会ったことも無い誰かから、
大きな大きなギフトとして受け取ることもある。
SNSが話題になり始めた頃から登録している場所がいくつかあるが、
そこから仲良くなった方も何人かいて、今もたまに連絡を取っている。
唐突に声をかけて、まったりとだが会話に応じてくれることだけで、なんだか支えになる。
そういう小さな積み重ねを、なんとなく忘れないように、生きていたいと思う。
おはようは、ねえねえは、傍に居てという意味の合図だ。
(C)Aoi Tact