私はこの地元の外で学校に通ったことも、働いたこともない。
旅行で外に旅立つのが一年に一回あればいいほうで、
通勤で二十分範囲、休日も徒歩二十分範囲から飛び出すことがなかなか無い。
十代から二十代前半は、外に出たいと考えていたことが多かったものの、
年々その気持ちも薄れてきた。
外に飛び出すのは旅に出るくらいがちょうどいいのではないかとすら考えてしまっている。
この心境の変化は何故だろうと考えてみたのだが、
地元でお付き合いしている人がいることと、旅をしてみると地元とは環境が全然違うことが分かった、
という、なんだか爆発しろといった声が聞こえてきたり、当たり前ではといった反応が返ってきそうな理由だと考える。
もともと震災直後は、もう地元を旅立って県内の県庁所在地や、
県外へ南下して新天地で生活基盤を築きたいという、逃避にも似た願望を持っていた。
心の中にある風景がもうどこにも消えて無くなってしまったような、喪失感が凄まじかった。
それを止めたのは、ある意味今お付き合いしている人だ。
確か「地元出たいと思うんですよねー」と他の先輩の前でも話したことがあり、
出なくていいよだったか、出なくていいんじゃないかといった反応がその人から返ってきたのだ。一応お付き合いする前だ。
何故出なくてもいいのかの部分を思い出せないため、そうですかねーといった返しでその話は切り上げたと思うのだが、
その後お付き合いするようになって、なんだかあれは不思議なタイミングだったと考える。
地元の復興が進み、だんだん隣町へ書店目的で足を運ぶようになり、
今年に入ってからだが仙台へも旅立つことになった。
隣町でさえ、降り立ってみると「地元と全然違う」という、新鮮さという違和感がある中、
県外の仙台は、またそれまでの道のりは、さらに新鮮さという違和感で満ち溢れていた。
好きだけれど、ここは旅先で訪れる場所なのだという気持ちが、強くなった。
思っていたより、地元が嫌いなわけではなかったのだということにも、気付けた。
妹の一人が地元を離れ大学に通い、現在はその県内の別の町で就職している。
私にはそこまでするほどの理由も無かったのだ。すべてどこまでも地元で事足りたために。
狭い世界で生きているという実感はあるが、だからこそたまに外に出たときの世界が開ける感覚は心地よい。
また、親友の一人が高校卒業後都内の専門学校に通い、卒業後も都内で働いている。
彼女はいつも、地元に戻ってきたいと話している。少し様子が心配ではある。
私はそんな人たちを“ここ”で待っている側なのだと、思う。
この先の人生でも、地元に居続けるかは分からない。今いる環境に留まり続けるかは分からない。
ただ、近い将来もなんとなく、居続けるのではないかと思う。
私は極端な好き嫌いで動く部分がある。だいたいは好意的で、嫌いになるのはとても珍しい。
その珍しい出来事が訪れない限りは、居続けるような気がしている。
惰性で暮らしていたような地元にも、まだまだたぶん、新しい発見は待っているから。
(C)Aoi Tact