誕生日は、ほとんど毎年家族に祝ってもらっていた。また、祝っていた。
ただ、いつもより少し贅沢な夕食を食べたり、ケーキを食べるだけの年もあったけれど、
毎年うまくは伝えられていなかったが、祝ってもらえた嬉しさと感謝の気持ちはそれぞれあった。
そんな環境で生きてきたせいか、私はそれなりに記念日というものは大切に扱っていると思う。
友達の誕生日などは、プレゼントを選ぶセンスというものが壊滅的なため(これはお土産を選ぶセンスにも該当する)
どうしても無難なところに落ち着いてしまっていたのだが、それだけおめでとうという言葉を大事に届けたいと思ってきた。
おめでとう、の先に、今日こうして君に言えてよかった、という気持ちも混ざっている。
こんな気持ちは、年々、深まっていっているような気がしている。
その年、その日の記念日は、その時にしか無いわけで。
近年、仕事が忙しかったり友達に子供が出来たりと、当日に誕生日を祝える機会は本当に減った。
家族の誕生日も、妹が県外の大学に進学し、卒業後就職もその地で始めたため、もう数年分ちゃんと祝えていない。
弟の誕生日も、今年は一人暮らしを始めて休みのタイミングが合わなくなり、先日メールで済ませたきりである。
私自身の記念日については、私自身が自覚して祝えばそれでよい的な考えであったりするのだけれど、
やはりお世話になってる人の記念日は、祝えないととてもむずむずしてしまう。
もうこれは、性分なのだと思う。
そしてそんな性分にしてくれた家族に、こっそりありがとうと言いたくなってしまうのだ。



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