100作品目♪(リリイ・シュシュのすべて) | おすすめ日本映画

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こんにちは!アヒルです♪

今日はブログをはじめてちょうど100作品目の映画紹介です。

ブログを始めた当初は100作品も続くとは思っていもいませんでした。

これもコメントを頂けたり、読者になって頂けた皆様のおかげです。

皆さんには本当に感謝の気持ちで一杯です。

これからも200作品300作品と紹介できるように頑張ってまいりますので、応援よろしくお願いします♪ちなみに今回はネタバレ注意です!

そして記念すべき100回目は・・・。


今回、第100回目は 『リリイ・シュシュのすべて』(2001年) を紹介します。


監督:岩井俊二 出演:市原隼人、忍成修吾、伊藤歩、蒼井優

物語:ある地方都市。中学2年生の蓮見雄一(市原隼人)は、父親はおらず美容室を営む母親の静子と2人で暮らしていた。雄一は学校が終わると仲間達と万引きやスリをしてお金を集めている。何故かというと星野修介(忍成修吾)という同級生に脅かされ、無理矢理お金を集めさせられていたのだった。雄一は学校ではいじめられ、家では母親が再婚を考えている男とその連れ子がおり、毎日が苦しくて苦しくて仕方がない日々を送っていた。そんな雄一にとって唯一の心の拠り所が“リリイ・シュシュ”というアーティストの歌声、そしてその存在だった。雄一は自身が主宰する“リリイ・シュシュ”のファンサイト「リリフィリア」の中でだけは安らぎを得ることができていた。そして雄一は“フィリア”というハンドルネームでサイトのBBSに書き込みをしているうちに、“青猫”と名乗るリリイファンと心を通わせていくことになる。


時は遡り、1999年・・・。それは雄一が“リリイ・シュシュ”を全く知りもしなかった頃。中学に入学した雄一は、鮎小学校で児童会長をしていた星野修介と同じクラスになる。星野は新入生代表の答辞を読み、勉強もできて、明らかに優等生。しかし、どことなく神経質な雰囲気を漂わせている少年だった。雄一はそんな星野と同じ剣道部に入ったことで仲良くなる。

星野は雄一や同じ剣道部の仲間達と野球部の応援に行った時に初恋の人 久野陽子(伊藤歩)が同じ中学だったということを知る。久野とは小学5年まで星野が鮎小学校に転校するまでの間ずっと同じクラスだった。星野にとって久野はずっと想い続けていた存在だったのだ。その応援の帰り星野は鮎小学校の前に通っていた学校の頃のクラスメイトに出会う。雄一たちは星野と星野の当時のクラスメイトのやり取りを聞いて驚く。星野は小学5年まで通っていた小学校でイジメられていたのだった。

そして、夏になる。剣道部の3年生が引退し、1年生の雄一と星野達はようやく剣道の練習に参加できるようになった。しかしその練習は思っていたより壮絶で、想像以上に厳しいものだった。その練習の厳しさから逃避するように、雄一たちは夏休みに沖縄に行こうと考える。どうにかこうにかお金を調達した雄一たちは、なんとか沖縄の西表島に行くことができた。そして沖縄を満喫する彼ら。しかしそこで星野はダツという魚に襲われたり、海で溺れて気を失ったり、2度も命を落としかけた。旅の最後には、島で出会った男が交通事故に遭った現場を目撃し、不穏な空気が立ち込めた中での旅の終わりだった。


そして夏休みが終わり2学期になる。雄一にとってこの9月1日を境に、全てが変わってしまった。犬伏という不良の生徒が他の生徒が茶髪にしてきているのを注意すると、星野が「犬伏、オメェがそんなの言えんのかよ。鏡見ろっつーの。」と絡む。犬伏は「なに気張ってんだよ。顔引きつってるぞ、おい。」と星野を馬鹿にする。その言葉で星野は豹変した。星野は犬伏を蹴り倒し、傍にあった椅子を思いっきり投げ付け、カッターで犬伏の茶色い髪の毛を切り落とす。この日を境に人が変わった星野は、部活にも行かなくなり子分を従えイジメを繰返す。そして雄一も星野のイジメの対象になってしまう・・・。



 今まで紹介しよう紹介しようと何度も思っていたんですが、出来ていませんでした。本音を言うと、決して好きな作品ではないんです。今週 再度観返すまで1度しか観たことがありませんでした。初めて観る時もDVDのジャケットだけで抵抗があり、時間が掛かったほどです。そして初めて観た時、自然と感じないように逃げ腰で観ていたのを覚えています。でも心を斬りつけてくる様な鋭い痛みを感じずにはいられませんでした。確実に観た人の心に痛みを残すそんな力を持っている作品です。

 この『リリイ・シュシュのすべて』は“十四歳のリアル”という副題を携えています。出来事自体は決して日常性や現実性を帯びていると思えませんが、登場人物たちのそういう出来事に見舞われたときの心情は何故か現実味を感じることが出来ました。この“十四歳のリアル”という副題は、心の現実性を表しているような気がします。全てが不安で足元が覚束ない心、どんなことにでも反応してしまう繊細な心、そういう不安定な心が自分の居場所を他人との関係で明確にしようという行動に出てしまうそういうものもこの作品からは感じました。そしてその苦悩を描かれています。



 私は映画を観る時、心の感覚を大切にしています。そういう意味でこの作品は私にとっては忘れることが出来ない作品です。『リリイ・シュシュのすべて』は、視覚、聴覚で観ている私の心を強烈に刺激してきました。

 まず視覚においてなんですが、私は岩井俊二監督の作品の映像は美しくて非常に好きなんです。ですが『リリイ・シュシュのすべて』は少し違います。この『リリイ・シュシュのすべて』の映像には心を刺激してくる強さを持ち合わせています。“眩しい緑の田園”、“光の差し込む教室”、“光の中でピアノを弾く少女”、“緑の庭の中でホースを使い水を被る少女”、“金色に染まった田園”、“カイトの舞う青い空”、“荒廃した様に稲穂が刈られた田園”、そして“夕焼けの葬列”。映像から苦しさや辛さや痛みを覚えたのは初めてでした。映像に心を斬りつけられることによって、繊細だった頃の気持ちを思い出せました。

 聴覚においては、“ドビュッシー”の「アラベスク」が感情の昂りをさらに煽ってきます。物語の流れの中で「アラベスク」のボリュームがどんどん強くなってくると感情もピークに近づいてきます。美しいメロディーが心を徐々に苦しくしていくような感覚です。そしてこの作品の世界観を確固たるものにしています。

 この映像と音楽の美しさが物語の苦しさをこれ以上ないほどに強調したのは間違いありません。



 雄一から書いていこうと思います。雄一からは当然苦しさを感じました。自分のやりたくないことをやらされ、家でも孤独を感じ、その中で唯一安らぎを与えてくれた“リリイ・シュシュ”。星野に上納金を渡しているために、“リリイ・シュシュ”の新譜に癒しを求めても当然万引きへ。雄一は万引きで捕まり、学校に親まで呼び出される。教師は「CD一枚だけなんですが・・・。」と少し他人事。母親の静子はその場で雄一のことを殴りだす。このシーンもすごく辛かったです。母親としては子供が悪いことをしたんだから怒るのは当然だと思うんですが、学校ではいじめられ、“リリイ・シュシュ”に安らぎを求めた結果、母親に叱責され、と誰一人として雄一の気持ちを分かってあげられている人がいないんです。雄一の心の孤独をとても感じる場面ですごく寂しくなりました。

 そして自分ではこの状況をどうすることも出来ない弱さ、弱さと言ってもこの弱さは誰でも持っている弱さだと思うんです。この年齢で自分の状況を打開できるほどの強さを持ち合わせている人ってなかなかいないと思うし、この年代の世界ってとっても狭いし、今雄一たちのいる世界が全てだと思うんです。だから嫌なこともなかなか嫌と言えなかったり、非力な自分じゃどうにも出来ないから「死」というものがチラついてくるんだと思います。ある程度の年齢になれば鈍感になって気にしなくなれることも出てくるんでしょうが、この年齢の頃の敏感さでは到底無理だと思うんです。そういうものを雄一から感じました。



 津田詩織からも繊細さを感じました。そして悲しい恋心も。津田詩織は星野に弱みを握られ強制的に援助交際をさせられるんです。その事実だけでも苦しい。苦しくて仕方がない。多分脅かされてるし、それ以上にこういうことをやらされているってことを知られたくないという気持ちから誰にも相談できないんです。辛くて辛くて仕方がない。そんな津田も密かに恋心を抱くんです。雄一に。雄一は星野の命令で津田の援助交際のときの送り迎えを任されていたんです。でもそんな雄一は同じ小学校出身の佐々木という正義感溢れる少年に「津田が好きなんだ」と相談を受けて、津田と佐々木を引き合わせるんです。津田は雄一が佐々木と自分を引き合わせたことで、雄一の自分に対する気持ちが無いことを知るんです。雄一は正義感の強い佐々木が津田を救ってくれると思っての行動だったんですが、結果的には津田が自分のことを救って欲しかった雄一という相手に失望感を覚えるんです。津田にとっては雄一が唯一の希望だったのにそれを失ってしまったことで、最後の結果になってしまったんだと思います。そのときの夕焼けは本当に苦しかった。



 久野陽子は自分の考え方をしっかりと持っている少女なのかなと思いました。考え方を持っているから周りにも流されない、そういう少女です。津田が雄一に対して「大丈夫、久野さんは強いから。」という台詞があるんですが、決して久野は強いというわけではないんだと思います。辛いものは辛いし、苦しいことは苦しい。クラスの女子生徒のほとんどからイジメられ、しまいにはレイプまでされてしまう。辛いに決まってます。苦しいに決まってます。ここまでいくと強いとか弱いという問題じゃないです。でも彼女はそういうことに屈するんじゃなくて、“「悪いことには立ち向かう」という考え方”が彼女をずっと支え続けていたんじゃないかと思います。



 そして星野修介。彼は最も心が繊細だったと思います。忍成修吾さんが演じてくれたからこそという感じがしました。ある日を境に豹変した星野。以前、雄一が星野の家に泊まったときに星野は「(成績が1番と思われている自分に)オレ本当は7番なのに、1番のヤツはオレのこと嘘つきだと思ってるよ。」と神経質な一面を見せることからも分かるように、思い詰める性格の持ち主なんです。そして最も心が不安定に思えました。犬伏との一件がきっかけで人が変わったのにも、一家離散という悲劇があったにせよ心の不安定さが1番の原因だと思います。犬伏に対して暴力で力を示したのは苛立ちもあると思うんですが、心に不安があるから自分の力を誇示しようとしたんじゃないでしょうか。それも以前星野自身がイジメの対象になったことが必ず関係していると思います。イジメられていたことが彼をそこまで神経質にして、他人を押さえつけて自分より下に置くことで安心を覚えていたんじゃないかと思うんです。でも星野はイジメをしている自分のことが決して好きではなかったと思います。「リリフィリア」のBBSで“青猫”というハンドルネームで書き込みをしている時だけ本当の自分に戻れていたんじゃないでしょうか。BBSの中で“フィリア”を慰める“青猫”を観ても分かるように、日常の星野の行動とは全く違うんです。星野自身も雄一と同様にこのBBSにだけ安らぎを得ることが出来ていたんだと思います。

 そして“リリイ・シュシュ”のライブで“青猫”の星野は“フィリア”の雄一に青林檎を持っていくから見つけたら声を掛けて欲しいとBBSで伝えるんです。ライブ会場で雄一は青林檎を持っている星野を見つけて驚くんです、今まで慰めてくれていた人物は自分をイジメていた人物と同じだったんですから当然です。しかし雄一は自分が“フィリア”であることを伝えません。そして星野は雄一にメールアドレスの書かれた青林檎を預けこう言うんです「誰か声を掛けてきたらコレ渡せ。」と。何故か星野は青林檎を自分で持っていようとしなかった。これは星野が“フィリア”に今の自分を見られたくなかったんじゃないかと思うんです。今の自分がやっぱり嫌いだったんじゃないでしょうか。星野は“フィリア”とやり取りをしている時だけが本当の自分に戻れていたんだと思います。

 そして誰も星野を救ってあげることが出来なかった。星野自身も、そして雄一も。改めて観て、最も星野という人物に感じるものがありました。星野の苦しみが本当に強く感じられて、本当に苦しかったです。



 少年、少女の心。それは時間が経過すると無くなってしまう。「なぜイジメる必要があるの?」、「今時の子供の考えることは分かりませんから。」こういう大人の言葉から、少年や少女の心は彼らにしか分からない。そんな孤独な中で生きている彼らの繊細で傷つきやすい心を思い出させてくれる作品でした。

 思い出すと私もこの位の年代の頃が一番辛かったかもしれません。大げさかもしれないけど、ちょっとしたことで生きるか死ぬかのような苦しさを覚えていたと思う。この映画はそういう一番痛みを感じやすい年代の心の様子が非常によく描かれています。ですから観た人にその頃の心の敏感さを思い出させて痛みを与えるのかもしれません。

 痛みを伴うそんな作品です。好き嫌いは別にして凄い作品だと思います。私にとっても大切な作品です。どなたにも一度は観ていただきたいです。まだ観たことのない方は、是非ご覧になってみて下さいp(^-^)q

 今回は凄く長くなってしまいました。スイマセンm(_ _ )m最後まで読んでくれた方、本当にありがとうございます♪


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