プロデューサーのジョージ・マーティンは
仕上がりに納得していなかった






メンバーとの話し合いでデビューナンバーを[ラヴ・ミー・ドゥ]に決め
数テイク録音したが出来がよくない






スタジオミュージシャンを入れ取り直した






'62年10月
[ラヴ・ミー・ドゥー]
をリリース






ブライアン・エプスタインは[ラヴ・ミー・ドゥ]1万枚を自分のレコード店で注文した






そのおかげもあってイギリスのチャート17位まで上昇した






それでもG.マーティンは納得していなかった






オリジナルでもいい
何かいい曲はないか






ビートルズは
[プリーズ・プリーズ・ミー]を持ってきた






スローテンポだったこの曲を
G.マーティンはアップテンポにしてみることを提案した







思ったとおり






確信した
これこそNo.1だと






'63年1月
[プリーズ・プリーズ・ミー]
リリース






あっという間に売れた






チャート誌メロディ・メイカーで2週連続1位
他のチャートでも上位を占めた






シングルのベストセラー
大ヒットとなった






間髪入れずにビートルズとG.マーティンはアルバム制作に入る