このブログを始めて3日目だけど

自己紹介をしてなかった

 

簡単にお話すると

 

 

子どもの頃は

転勤族の親と一緒に主に西日本を転々とし

小学校は転校して4校通った

 

 

幼稚園の頃は

4階のベランダから

下の道を歩いている人に向かって

 

 

誰かさーん!!

 

 

と話しかけていたらしいが

 

 

 

社交的なタイプだったわけではなく・・・

 

 

 

 

 

年中さんの時の発表会で

ハチの役がしたかったのに

先生の勘違いでお花の役になったけど

言い出せないような子だった

 

 

 

そんな私が

小学生になり学校を4つも点々としたのだ

 

 

どう考えても

心的負担が多かった

 

 

子どもだからそのうち打ち解ける

親はそう思っていたようだが

人生ってそんな簡単ではない

 

 

 

 

 

 

1回目の転校は1年生夏休み

まだ小さかったからここは結構楽にクリアした

 

 

なんかよくわからないけど引っ越しして

新しい学校始まって

 

新興住宅地だったこともあり

なんか知らん間に新しい友達と遊んでた

 

 

 

私がおとなしめで困ったのは

2回目の転校、3校目以降である

 

 

3校目は九州への転校だった

 

 

 

何が問題って

 

 

友達が話てることがわからない!!

 

 

 

先生は標準語と方言で授業をし

今までずっと標準語で過ごしていた私は

 

 

なんでこの先生方言話すんだろう??

標準語だけでよくない??

位に思ってた

 

 

 

どう考えても私のためだったと気づいたのは

かなーーーーーり後

大人になって自分の人生を振り返った時だった

 

 

 

 

 

 

 

転校生を向かい入れた側からすると

 

 

転校生なんてほとんどいなかった

その子は標準語を話した

 

から

 

 

物珍しかったんだとは思う

 

 

 

色んな意味でちょっかい出されて

それでも低学年だったからか

そのうちなんとかはなった

 

 

でも・・・

 

 

言ってることわかんないって

結構なストレスだったんだと思う

 

 

思春期だったのもあるけど

この次4校目への転校の時なんて

 

 

全く周りに馴染めなかった・・・

 

 

 

 

 

また新しいところに行くんだ

転校したのは6年生の夏休み

 

 

前の学校は秋に修学旅行

新しい学校は春に修学旅行

 

 

私は小学校の修学旅行には

いったことがない

 

 

前の学校の友達と行けてたら楽しかったけど

引っ越した先では旅行が終わってたことは

その当時の私にとってはむしろラッキーだった

 

 

 

それまでの学校のことは

覚えていないけど

 

 

6年生だった最後の学校では

 

みんなが朝礼で並んでるところに

急にここに入りなさいと連れていかれ

 

周りの子に

多分一応名前位は伝えてもらえたけど

 

 

わけがわからず・・・

 

 

朝礼が終わると

子どもはそのまま教室に戻って・・・

 

 

教室の中に入っていいのかわかんなくて

教室の外に立っていた

 

 

明確にお世話頼まれた訳でもないし

誰も中に入るように言ってもくれず

 

 

先生が来るまで

なぜか廊下に立っていた

 

 

 

 

こちらから積極的に話かけたりできず

9月からの半年、ほぼ友達もできないまま

ただただ毎日を過ごしたのを覚えている

 

 

わざわざ入りに行くのも面倒で

 

 

どうせ異物扱いされるんでしょ

 

みたいな思い込みもあった

 

 

 

あちらから来てくれないなら

こっちももういいわ・・・

 

 

 

 

今考えたら、お前も行かないからだろって

ツッコミどころ満載だけど

 

 

 

ことあるごとに

 

お前はウジウジしてる

ちゃんと話ができない

もっときちんと挨拶しろ

 

 

散々父に刷り込まれ

短気な性格からキレられることも

しばしば

 

 

そんなこんなで

 

 

静かに黙ってやり過ごす

自分の意見をいうと数倍面倒な展開になる

 

 

 

それが私の常識になり

全てを避ける方向に

動いてしまっていた・・・

 

 

 

まさかそれが

習慣化し、自分でも気づかないほど

普通に感情がなくなるとは思いもしなかった