第二地域行きの片道切符
我が国で最も優勢な「道徳」は何かと言えば、恐らく「節制」や「清貧」と名前を変えて謳われる緊縮財政でしょう。新自由主義、商品貨幣論と言い換える事もできます。同じ事象の別側面ですから。
さて、社会的に何も持たない人間が、他者に優越したいと感じた時、真っ先に飛び付くものの一つが「道徳」です。
形而上の概念ですから物理的な限界は有りません。その価値は言い値で決まる天井知らず。マウントを取るのに打って付けです。
この「道徳」を徹底的に糾弾したのがニーチェでした。社会的弱者の世間に対する筋違いの恨みをルサンチマンと名付けたのも彼です。
「僧侶」と「教会」に煽られた弱者は社会を対立で分断し、結果的に弱者を再生産します。こうして世間は弱者だらけになり「僧侶」と「教会」に都合の良い社会が作られるわけです。
ニーチェを読んでファシズム批判だと分からない人間は政治参加の資格が無いと思います。
いわゆる「大阪都構想」の住民投票が明日に迫っていますが、大阪市民の方々には、誰が「僧侶」で「教会」なのか、よくよく考えて頂きたい所です。
モヒカン刺付き肩パッドで語る論理の説得力
お前は歴史修正主義者だ!
との物言いを他者への批判に使う人は要するに「世の中には "正史" が存在する」という世界観で生きているのだと思います。
"正史" は政治闘争の最終的な勝利者だけが編纂を許された「唯一の歴史」な訳ですが「勝てば官軍」思考と違って「錦の御旗」を必要としません。つまり彼らは自覚なき易姓革命論者なのです。
"正史" 編纂の権利は皇帝にしか有りませんから、既存の"正史" に拘る人物は体制側に立っている事を表明したも同然です。皇帝陛下に逆らうな!という訳です。
支配領域において、皇帝は時空を含めた万物の尺度ですから、その名の下に定量的な観測は意味を失います。ヒエラルキーの上位者が下位者の全てを規定する事が可能です。
歴史修正主義は革命家なる専門人=大衆のジャーゴンであり、その思考の根本に横たわっているのは「反近代」です。
本人は進歩的だと勘違いしているでしょうが、彼らは近代国家の中に生じた野蛮人に過ぎませんので、言動を真に受けてはいけません。
人の声を真似る存在は大抵が邪悪ですね。ネットの囀りは何割が人間やら。
ところで、彼らの言う"正史"って何でしょうね。私は「連合国史観」だと思います。そこに主権者としての日本国民は存在しません。だから現実の国民不在で論を進める事が出来るのでしょう。
田植えの神事
天皇陛下が即位して初の田植えを皇居でなさったそうです。
一部海外では「一国の元首が泥に塗れた労働をするなんて」との反応があったりするそうですが、私からするとこういうのが出る時点で、本来とはズレてる気がします。
高天原で素戔嗚尊が狼藉に及んだ時、天照大神は機織りをしてたし、畔が壊れたということは田もあったわけで。
つまり我が国の神々は労働に勤しんでいたのであって、田植えが天上の行いを地上で模倣する神事として当然だとの感覚は、全知全能(笑)の唯一絶対な神とやらを奉じる方々には分からんのでしょう。
ギリシャだろうがヒンズーだろうが道教ですら職能神が信仰の対象になってるのに、労働を神からの「罰」とするキリスト教こそが、人類史的には「異端」だと思いますね。
強いて言うなら、彼らが祀ってるのは契約の神だから、その権能には貨幣を含むのかも知れないなー。(詭弁開始)
経済に実態と金融の両面がある事から考えると、職能神や農耕神などの生産を司る神々と対極の存在に捉える事も可能。
拝金主義者が世界を一つの価値観で塗り潰す事を善と見るグローバリストになるのは当たり前なんだな。
拝金主義はマモニズムの訳語ですが、この語は変幻自在のマモンという魔神に由来し、その別称アモンは漫画「デビルマン」で主人公が合体した悪魔に引き継がれています。
このマモン、世界の王という渾名もあるそうで(健部伸明氏が言ってた)それは新自由主義が猖獗を極める現代を支配するに相応しい気もしますね。









