あるとき、おっちゃんからさらなる仕事というか、今後に繋がる人たちを紹介された。



それは、以前CM出演のときにお世話になったRさんから広がっていった話だった。



多分Rさんの旦那様が経営する芸能プロダクションに所属していたミュージシャンだった。



バンドだったが、決してロックではない、ジャンルは・・・・・・・ない。



JAZZ,POPS,R&B,サンバ、ボサノバ、ロック、シャンソン、邦楽、洋楽、なんでもOKのバンド。



メンバーは、ボーカル、シンセサイザー、ベースの3人組。



出身は・・・・・・・・・・フィリピンだった。



年齢は、ミュージシャンは50近いおっちゃん。



2人ともコーラスをし、高音、低音、と、これまたハンパないうまかった。



あ、一人はリードボーカルもします。



ボーカルは、30ぐらいの女性ボーカル。



LOOKSは・・・・・・・・・・・・・・ノーコメント。



ボーカルのJは日本人男性と結婚をし、4歳ぐらいの娘がいた。



このバンドは、普段SNDI市の飲み屋街にある、クラブ(といっても、若者のではなく、お偉いさんが集まる会員制の洒落たクラシックピアノがある昔風のクラブ)で、深夜に週3回はパフォーマンスをしていた。



旦那は客だったのだろう。



会っても、一言も話さない、陰気臭い、ちょっと気もい親父。



そんな旦那とは正反対でJは外見とは裏腹にとてもかわいらしい、日本人のような心を持ち、人のお世話がうまく、場を盛り上げたり、いつも元気な人だった。



誰もが、ビザのための結婚だろう、とうわさはしていた。



でも、3人ともほんとにいい人で、面白くて、私たちを娘のように扱ってくれた。



彼女らはもちろん日本語はぺらぺら。



3人の会話は、英語がほとんど、でも、やばくなるとフィリピン語で話していた。



彼女たちは、はっきりいって、金を稼ぐために日本に来た。



きっとミュージシャンで!という夢を持って。



そんな彼女たちのバンドは、ファンが増え始めこの度CD発売が決定してこれからライブやツアーなどで盛り上がっていこう!という時期にわたし達STYLEを指名したのだ。



もちろん、Rさんとのパフォーマンスを見て、ジェラスったのだろう。



私たちもダンサーが欲しい!!と。



RさんとJは結構ライバル同士だった。



だって、ぶっちゃけJのバンド、ハンパないレベルです。



外国の血はやはり凄い!



のりがちがう、リズムがちがう。



歌のレパートリーの数。しかも多種。



それに比べて、日本人のRさんにとっては難しいリズムもあるわけで。英語の壁もあるし。



ま、わたしらダンサーにとってはリズミカルな踊りやすいSONGを多くやってくれるほうがありがたい。



Rさんのステージでは、若干私たちの出番が少なかったかなー。



そこで、早速Jのバンドの練習に加わることに。



おっちゃんがテープをもらい振り付けを始めたらしい。



練習初日まで私たちの練習はなかった。



テープももらっていない。



そう、出たのよ。おっちゃんの役目こなしてない。



ま、このときは既におっちゃんは違う県に暮らしてましたからね。



練習スタジオに入り元気なJが迎えてくれました。



今日は、テープと共に練習とボーカルのJに少し振り付け。



Jはダンサーを連れて歌えることにチョー浮き浮きしていました。



まずは、おっちゃんより、HIPHOPチューンである、mariah careyの『EMOTIONS』だった。



当時はすでにマライアは有名でだれもがこの曲知っていたのでではないしょうか?



当時は、マライアのビデオも買いまくりました。

マライアのビデオには沢山HIPHOPダンスが多く取り上げられており、しかも黒人ダンサー。

当時は????だったなー、なんで彼女は?

このビデオにもすげーダンサーてるし、マライアはいつも同じダンサーを使っており、しかも彼らはみんなストリートからのダンサーばかり。

何年経っても、仲間として、家族として扱っている彼女が好きだったなー。


「7オクターブの声域を持つ歌姫」と有名だった彼女でしたが、この曲ではそれを十分に発揮していたことでしょう。



が、Jは彼女と一緒のキーでこの曲を歌っていた。



ハンパない!!



早速振り付け開始。



じ・つ・わおっちゃん、その場で考えてるんだよねー。



なんかねー、やっぱりショックなんだよねー。



しかも、姉ちゃんなんて、まだまだうまく踊りこなせないんだからその場で振付けても確実に踊れないよ。



さらに、私たちの苦手なHIPHOP系でしょう・・・・・・・・?



おっちゃん、あせってるよ、でも出てきた振りはなんか妙に『いいねー。』とのり盛り上げ。



私はー、もっと時間かけて作ればもっともっといいのできたと思う。



結局、今回の練習は、Jに基本のダンスレッスンを行っておりました。



口のうまいおっちゃんですもの。



基本なステップや、私たちが既に持っているふりを教えておいて、それを今後曲に入れていきますので・・・・



みたいな感じで、うまく時間を使いきった。



ま、よかったんジャン。



その後、相変わらず時間のないおっちゃんは、最後できた振りをAさんに家で教え、それを私たちに教えろということで、練習は進んでいったが・・・・・・



Aさんの踊りじゃ、原型が分かんねェーーーーー。



しかも、忘れてるとコあるし。



最悪。



あるときおっちゃんが顔を出すと・・・・・・・・・



『ちげェよー---。』と駄目だしして、もちろん怒られるのはAさん。



空気わりぃーーーーーーー。



その後、JたちのオリジナルCDの曲のナンバーも振りを付け、練習した。



シングルはバラードだったが2曲目3曲目とアップてんぽでJたちのライブには欠かせないテーマSONG化もした感じでもあった。



修行として、夜中に金持ちの客前にJたちがパフォーマンスするクラブで踊ったことも何度かある。



もちろん、ギャラなし。



これは女3人のみ。



おっちゃんが頼んだのよねー。



修行のため。



めっちゃ腰低くしろ!というのがおっちゃんのスタイル。



自由にやれたが、ボロボロだった。



Aさんはめっちゃ間違って、素人並の表情出しちゃうし、お水が得意な姉ちゃんののりは酔っ払いのおっちゃんをはやし立ててるホステスのようなのり。



私は、一人で浮いているケバイ若者で妙に力強い踊りをする体育会系ののりのわたし。



どう考えてもアカンやろ?



かっこ悪いのは分かっていた。



でも、それを正してくれる人がいない。



私達は何度もパフォーマンスをし、真四角な箱の店の中の使い方を学び始めてき、時には客からマジな拍手をもらえたこともあった。



あ、忘れてはいけないのが、Jのバンドのダンサーっす。



Jからメンバー紹介をされるときに盛り上がりが分かるわけで・・・・・



わたし達3人はそれぞれ、違う色の歓声をもらい始めたのでありました。



真夜中の修行。



Aさんたちはノーギャラの修行のために仕事を休んでいた。



私達は居酒屋にも行けなく、パフォーマンス後にJが隣の喫茶店(当時はカフェではない)でドリンクを買ってくれ、それが唯一の楽しみだった。



こんな感じで、さらなる出会いをとげ、私たちの活動はさらに広がっていったわけであります。



スケジュールをアップデイトしますと。



私は大学、バイト、ダンスクラスの教え、Jとのリハ、深夜の修行、Rさんとのリハ、そして週5の自分らの練習とミュージシャンたちの曲の練習。



姉ちゃん、エレクトーンの個人レッスン、深夜のホステス、そしてダンスは私と一緒。



Aさん深夜のホステス、ダンスは私と一緒。



イヤー、青春っていいね!!





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