あの日から約1ヶ月が経ち、日本にいる両親に電話をしたときに、岩手県宮古市に住んでいる母の弟、つまり私の叔父ちゃん夫婦とようやく話が出来たことを伝えられた。



叔父ちゃんは昔仙台に住んでおり、私が大学に入るとき私の両親が忙しく、代わりに引越しの手伝いや、入学式にまで来てくれた叔父ちゃん叔母ちゃんだった。



2人の結婚式のときには、私がまだ幼稚園だった頃、花束贈呈係を務めたものだった。



そんな叔父ちゃん叔母ちゃんたちは、今2人の子供が大学生で家を出て、退職を迎える前の最後の仕事場、宮古市に夫婦だけで暮らしているらしかった。



叔父ちゃんは昔、柔道でオリンピック候補に選ばれた人だった。らしい・・・・・・



体もでかくて、とても優しい叔父ちゃん。



職業は実家は材木屋で、叔父ちゃんは長男ではないので、他の建築会社で土木をしていた。



3月11日
その日は奥さんの体の調子が悪く、午前中に病院の診察があった。



が、何故か、時間になり、予約をキャンセルされそうになり、『午後2時に来てください』といわれたらしかったが、もう1時間ほど待ち、なんとか診察してもらったらしい。



そのご、無事帰宅。



一方、津波が発生しているころ、おじちゃんは車を運転していたらしい。



普通、非常事態には車を道路の横に止め、車を置いて逃げるのが規則らしかったが、叔父ちゃんは必死に運転。



なんと、後ろから津波が迫ってきて、自分より後ろにいた車は波に飲み込まれ、姿はもうなかったらしい。



また、この必死の中、自分たちが建てた橋を通ったらしく、地震でも壊れてない自分らの橋を誇りに思ったそうです。



と、2人とも危機一髪だったのです。



というのも、おじちゃんは以前にに新潟県中越地震を経験していて、宮古市に越してきたときは海沿いということで、津波を予測して、高台の家を選んだらしかった。



津波は玄関の入り口ギリギリで止まったらしく、家は被害がなかったらしいです。



おばちゃんが、もし午後に診察に行ってれば、流されてました。



その病院は山のふもとにあり、流されたそうです。



叔父ちゃんが家に着いたときは叔母ちゃんは学校のほうに避難してたらしく、2人は無事再会出来たようです。



避難が出されてましたが、実際、体育館の中はみんな衣類が濡れてるわけで、凄い異臭でそこにはいれない状態らしい。



家が大丈夫だったようなので、2人は家に戻りました。



その日から、何日もライフラインが止まっている生活。



どうしたかというと、『平気だったよ!』との一言。



ちょうど、前日奥さんが大量の食料の買出しに行ったらしく、食料は豊富。



暖房器具は昔の反射式ストーブで、プロパンガスなので、大丈夫!



趣味が魚釣りのおじちゃんはいろいろと、でかい冷凍庫やら、いろいろとアイテムが揃っており、生ものを新鮮にkEEPできるものをもっているらしく、これまた平気だったらしい。



これまた、小さいながらのソーラー電池もあるらしく。



全てが問題なしだったようです。



魚釣りの趣味な人は、発電機みたいなのとかもってそうや。



実家への報告は仕事場の船の無線で連絡取ったらしい。



また、仕事場の木材などを運ぶためのか、船が津波発生時に沖に出てたらしく・・・・・・・・



なんと、3日後ぐらいに戻ってきたそうです。



まさに津波を遠くで、何波も越したそうです。



津波時は陸に近づくと危ないですからね。



従業員みんなの安否を確認できましたが、実は社長1人と連絡が取れないらしく、その日から遺体安置所めぐりが始まりました。



初めは、何百もの遺体を目の前にして、吐き気を催したようでしたけど、だんだん慣れてくるらしく、体調かまわず、社長探しをしているようです。



未だに連絡取れてない?行方不明のようです。



あれから、叔父ちゃんの会社は復旧作業に追われ、忙しいようです。



また、退職もしばらくはお預けになったようです。



この現状では、経験豊富な人材が貴重なようです。






今回の災害で、地元の東北人の話をいろいろ聞きましたが、誰も弱音はいてない。



驚きですよ。



特に田舎の人は強いですなー。



私にもそんな血が流れてるはずよねー。



頑張ろう、日本 はた