Tさんとの約束でKTDI公園で待ち合わせ。
前回会ったときの約束で、私がAMUROちゃんの曲で『LET‘s DO THE MOTION』を披露するのだ。
マジで、この映像でも練習した。
チョー緊張。
AYAさんなしで2人きりで会う。
マジで、怖かった。
約束時間のちょっと前に到着し、Tさんはまだだった。
が、すぐに登場した。
ラジカセ
と共に。
曲はもちろん私が持参した。
場所は、公園のはじで、建物のガラス張りの前だった。
そして、話す暇もないぐらいで、
『さー、いこうか!!』
音楽が流れ始めた。
静かな前奏と共にいきなり激しく始まる。
そこで、自分は恥も何もかも捨てて本気で踊った。
初めはからだが硬直してうまく動けなかったが、少し経つと、自分がAMUROちゃんになったかのように、もってるもの全てを出し切って表現した。
だが・・・・・・・この踊りは見ても分かるとおり、床の動作がアリーの、膝スライドがありーので、コンクリートの上で踊っている私は、かなりダメージを受けていた。
が、そんなの関係ねぇーーーー。
踊りきった。
気持ちよかった。
途中、通行人が止まってみてくれた人もいた。
最後に1人の観客から拍手を貰った。
感動した。
人前で踊るのは初めてだった。
で、お待ちかねのTさんの一言目は
『いいねーーーー。これだよ、俺がやりたかったのは!』
絶賛だった。
うれしかった。
そして、この瞬間に私はTさんとAYAさんチームに加わることを認められた。
初めて自分がやりたかった夢を目指す仲間が出来た。
しかも、仲間は既に踊れる方々たち。
みんなでゼロからのSTARTではない。
しかもTさんはこう見えて、SNDI市ではダンスの世界では既に有名な人だった。
彼の知り合いは、みんな年上で、すでに引退して社会人になっている人が多く、私が知らないダンスの世界ではすでに歴史があったわけで、この地域で大御所の人の知り合いが多かった。
でも、話を聞くと、Tさんというひとは、以前にもチームがいくつもあったが、みんなけんか別れをして、解散していることが多かった。
ただ、AYAさんとは男女の関係で、AYAさんだけはTさんについていっている人だった。
それに、この時点で、Tさんはバイトしていたスナックもオーナーとけんかしてやめた後だった。
なんか、癖のありそうな、Tさん。
そのときの私は、同じチームにTさんがいるだけで、誇りだった。
しかも、新人ダンサーの私も、周りから注目されていた。
Tさんのダンス仲間に女が加わった。どんな人だろう?と・・・・・・・・(チームに女が入ったのはAYAさん以外始めてだったらしい)
世間のみんなは、Tさんが次にどんなものを持ってくるのか、????だったと思う。
だって、Tさんがやろうとしていることは、初めての女とのユニット。
しかも、ストリートJAZZでくるチームはそのころにはまだなかったわけですから。
当時は、ダンスといえば、やはり流行ってはいないもの、HIP HOPチームが多かったんですよ。
この日以来、3人はいつもつるむようになった。
時間があるときは必ず一緒にいた。
仲間。家族のようだった。
こうして、とうとう私のダンス人生が本格的にSTARTしたわけです。
この時点で、私は19歳。
18歳で、ダンススクールを見つけ、主に自己レン期間が約1年。
STARTが遅すぎるが・・・・・
波乱万丈のダンス人生の始まりです。


前回会ったときの約束で、私がAMUROちゃんの曲で『LET‘s DO THE MOTION』を披露するのだ。
マジで、この映像でも練習した。チョー緊張。

AYAさんなしで2人きりで会う。
マジで、怖かった。
約束時間のちょっと前に到着し、Tさんはまだだった。
が、すぐに登場した。
ラジカセ
と共に。曲はもちろん私が持参した。
場所は、公園のはじで、建物のガラス張りの前だった。
そして、話す暇もないぐらいで、
『さー、いこうか!!』
音楽が流れ始めた。
静かな前奏と共にいきなり激しく始まる。
そこで、自分は恥も何もかも捨てて本気で踊った。
初めはからだが硬直してうまく動けなかったが、少し経つと、自分がAMUROちゃんになったかのように、もってるもの全てを出し切って表現した。
だが・・・・・・・この踊りは見ても分かるとおり、床の動作がアリーの、膝スライドがありーので、コンクリートの上で踊っている私は、かなりダメージを受けていた。
が、そんなの関係ねぇーーーー。
踊りきった。
気持ちよかった。
途中、通行人が止まってみてくれた人もいた。
最後に1人の観客から拍手を貰った。
感動した。
人前で踊るのは初めてだった。
で、お待ちかねのTさんの一言目は
『いいねーーーー。これだよ、俺がやりたかったのは!』
絶賛だった。
うれしかった。
そして、この瞬間に私はTさんとAYAさんチームに加わることを認められた。
初めて自分がやりたかった夢を目指す仲間が出来た。
しかも、仲間は既に踊れる方々たち。
みんなでゼロからのSTARTではない。
しかもTさんはこう見えて、SNDI市ではダンスの世界では既に有名な人だった。
彼の知り合いは、みんな年上で、すでに引退して社会人になっている人が多く、私が知らないダンスの世界ではすでに歴史があったわけで、この地域で大御所の人の知り合いが多かった。
でも、話を聞くと、Tさんというひとは、以前にもチームがいくつもあったが、みんなけんか別れをして、解散していることが多かった。
ただ、AYAさんとは男女の関係で、AYAさんだけはTさんについていっている人だった。
それに、この時点で、Tさんはバイトしていたスナックもオーナーとけんかしてやめた後だった。
なんか、癖のありそうな、Tさん。
そのときの私は、同じチームにTさんがいるだけで、誇りだった。
しかも、新人ダンサーの私も、周りから注目されていた。

Tさんのダンス仲間に女が加わった。どんな人だろう?と・・・・・・・・(チームに女が入ったのはAYAさん以外始めてだったらしい)
世間のみんなは、Tさんが次にどんなものを持ってくるのか、????だったと思う。
だって、Tさんがやろうとしていることは、初めての女とのユニット。
しかも、ストリートJAZZでくるチームはそのころにはまだなかったわけですから。
当時は、ダンスといえば、やはり流行ってはいないもの、HIP HOPチームが多かったんですよ。
この日以来、3人はいつもつるむようになった。
時間があるときは必ず一緒にいた。
仲間。家族のようだった。
こうして、とうとう私のダンス人生が本格的にSTARTしたわけです。
この時点で、私は19歳。
18歳で、ダンススクールを見つけ、主に自己レン期間が約1年。
STARTが遅すぎるが・・・・・
波乱万丈のダンス人生の始まりです。
