昭和52年1月。
私は、IWT県KJ市にて、誕生。

両親はもともとMROK市に住んでいたが、私を生むために里帰り。

私の出生地はかなりの田舎で、嫌だった。

と、私の人生の出発はMROK市である。(育った土地)

赤ん坊のころの私は、手のかからない、お利巧さんの子だったと、いつも言われていた。
買い物行くときは家においていって、帰ってくるまでスヤスヤ寝ていたという。
((゚Д゚≡゚д゚)エッ!?って、危ないだろう?今の時代、赤ちゃん家においていかないだろう!海外じゃ、犯罪やデー!)

一方、私には5歳上の兄貴がいる。

兄貴は私と違って、手のかかる子で、店で玩具を買ってくれるまで泣き続け、お留守番ももちろんできず、小学後半までオネショをし続けた。

幼稚園時のころから店からお菓子を盗んでくる問題児であった。

そんな兄貴は、子供のころ、アイロンで遊んでいて小さな手の甲に倒してしまって、そこには大きな火傷の跡がある。
成長する度に痣は大きくなっていった。(皮膚が伸びるからねー)



親父
高卒。
銀行員。(MCNK銀行)
私が生まれた当初は、貧乏だった。
でも、赤ちゃんのころは気づかないもんね。


親父はいつも帰りが午前様で、いっしょにご飯を食べた記憶がない。
毎晩、酔っ払って帰ってきては、暴れる。
漫画の定番のように寿司を持って帰ってくるので、起こされる。

でも、母は『寝たふりをしてなさい。』
母は知っている。
みんなで無視すれば親父は一人で寝る。


は、私の知ってる限りでは、一度も働いたことがない。
昔は、銀行員の妻は働くものではないという、ルールがあったそうな・・・・

母は、いつもおしゃれである。
口癖は『金をかけないおしゃれ!( ̄ー ̄)ニヤリッ』
そんな母は、買い物上手。
手先が器用。(私の服はいつも母の手作り刺繍で世界に一つの服であった。)
母は、家にいつもいる主婦であったが、常に化粧をしている。
子供のころから、母の大きな化粧ケースで遊ぶのが好きだった。

いつ、人が来ても対応できる服装。
いつもおいしそうな弁当を作ってくれた。
料理は抜群。
誕生日、クリスマス・・・いろんなイベントでは友達を呼んで、いつもパーティーをしてくれた。
そんな母を今では一人の女性として尊敬する。



そんな両親は、お見合い結婚。
2つ歳の離れた2人(親父が上)は、中学、高校と、一緒の学校で、一応顔は知ってる間柄であった。

小さな田舎では、母は田舎一の木材屋の金持ちの娘。
学校では、スポーツ万能で人気者だった母。

親父は農家の貧乏な家の子。
学校では合唱部、体操部と、私でも近寄りたくない人である。



そんな2人は普通なら縁のない話。
当初はお見合い結婚は普通であった。
その話が来たとき、母は『銀行員。彼は将来やってくれる!という見込みがありそうだ。』と、ピンときたそうだ。

(母の見込みは的中した。)


以上、家族4人。



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2009年8月現在。LNDNにて。

昔のことを懐かしく思います。

いつまでも忘れたくない昔の思い出。