5月A日:ゴールデンウィーク

 

 

ゴールデンウィークに、遠出をした記憶がほとんどない。現役時代は、家でキンキンに冷えたビールを飲みながら、テレビに映る高速道路の大渋滞を眺めては、「おめでたい人たちが多いな、ウシシ」と悦に入っていた。 しかし歳を重ねた今では、家庭を持ち、連休に子供を後部座席に乗せ、サービスエリアでソフトクリームでも食べながら渋滞にはまる、そんな人並みの人生を送ってみたかったと後悔している孤独な偏屈男である。

 

そんな折、妻の弟が札幌からやって来たので、妻と3人で近所の居酒屋へ。彼はJALの上級会員資格を維持するため、いわゆる「マイル修行」とやらで飛行機に乗りまくっているらしい。もはや旅行ではなく、「搭乗」そのものが目的という、理解し難い世界である。 来月もまた東京に来るそうで、こちらとしては「お疲れ様」と言うべきか、「また来るのか」と言うべきか、判断に迷うところだ。

 

5月B日:「ぼくがぼくであること」

 

 

児童文学作家の山中恒氏が3月に亡くなったという記事を見て、何十年ぶりかでその名前を思い出した。 小学生の頃、担任の先生が山中作品の熱心なファンで、教室の学級文庫には氏の本がずらりと並んでいた。その中で、妙にタイトルに惹かれて手にとったのが『ぼくがぼくであること』だった。 ふと思い立ち、Amazonの電子書籍で買い直して読んでみた。

 

夏休みに家出した小学6年生の主人公が、人里離れた農村で同い年の少女と出会う——そんな話で、内容は意外なほど覚えていた。 嬉しかったのは、心がすっかり濁ってしまった今でも、ちゃんとドキドキできたことである。 ただし、子供の頃とは違い、「家出先の爺さん、この子の親に連絡しなくていいのか?」とか、「着替えはどうしていたんだ?」など、余計な現実的ツッコミが脳内に次々と湧いてくる。 歳を取るというのは、くだらないコンプライアンス意識がロマンの邪魔をするということなのだろうか。

 

 

5月C日:「ストレンジャー・シングス」

 

  

 

海外ドラマ『ストレンジャー・シングス』を、今さらながら見始めた。1983年のアメリカ中西部の田舎町を舞台にした荒唐無稽なストーリーで、普段ならまず見ないジャンルだが、1980年代のあの独特な空気感——『E.T.』を思わせる世界観に、気がつけば引き込まれている。

 

劇中で特に目を引くのが、ソニーのウォークマン、パナソニックのラジカセ、ペンタックスの一眼レフ、JVCのビデオカメラといった日本製品の数々だ。当時の日本企業の勢いと元気が、画面越しにまぶしいほど伝わってくる。

 

だが40年後の今、世界をワクワクさせる日本発の製品が、どれだけあるだろう。 世間では、「政治が悪い」「日銀が悪い」「外国人労働者が悪い」と、原因探しばかりがにぎやかだ。しかし、本当にそうだろうか。 むしろ、失敗や叩かれることを恐れ、挑戦そのものを避けるようになった、そんな日本人の「守りの姿勢」にこそ原因があるのではないか。今の時代にこそ、「やってみなはれ」という、あのおおらかな心意気が必要なのだと思う。

 

 

5月D日:元同僚

 

 

前の会社の元同僚であるアメリカ人の友人と、久しぶりにランチをした。彼とは、同じタイミングで入社し、同じタイミングで「戦力外通知」を受けたという、いわば戦友のような関係である。 彼は今も日本に住み、フリーランスで翻訳の仕事をしているのだが、「AIに仕事を奪われそうだ」とため息をついていた。 

 

しかし、彼のバイタリティには脱帽する。コロナ禍をきっかけにマラソンに目覚め、昨年サブ3.5を達成し、今月は「野辺山100キロ・ウルトラマラソン」にまで挑戦したらしい(結果は85キロ地点でリタイアとのことだが、すごい執念だ)。

 

そんなストイックな彼に比べ、今の自分はどうだろう。ついついワインを飲み過ぎ、運動もサボりがち。フランス語もイタリア語も、「今日は疲れたから明日でいいか」を積み重ねた結果、見事なほど進歩していない。楽な方へ、楽な方へと水が流れるように生きている自分を反省しつつも、心地よい刺激をたっぷりくれた戦友に感謝したランチタイムだった。