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 必殺技の頭突きで日本と韓国のプロレス界で活躍した元プロレスラー、大木金太郎(おおき・きん たろう、本名・金一=キム・イル)さんが26日、ソウル市内の病院で死去した。77歳だった。 病院関係者が明らかにした。糖尿病や内臓疾患などで長期入院していた。  1929年2月、当時日本統治下の韓国全羅南道生まれ。58年に故力道山にあこがれ、船員とし て貨物船に乗り込み日本に密入国。拘束されるが、力道山が身元引受人となり、59年日本プロレス (当時)に入門。故ジャイアント馬場、アントニオ猪木とともに若手三羽がらすとも呼ばれた。  63年に米国遠征。65年には韓国でプロレス興業を成功させた。72年にボボ・ブラジルを破り インターナショナルヘビー級王座に就いた。日本プロレス分裂後は全日本、新日本、国際の各団体に 出場。「猛虎」の異名で馬場、猪木と激闘を重ね、韓国での後継者育成にも力を注いだ。  81年、日本のプロレス界を去り、韓国プロレスの発展に尽力。94年と2000年に韓国の国民 勲章を受章。95年に東京ドームで日本での引退式が行われた。最近の10年は日本や韓国で入院 生活を送っていた。(共同)

 "韓国の虎" 大木金太郎 逝く


  また一人、昭和の巨星が逝ってしまいました。

  大木さんは、自分がプロレスを見始めたときには、既に日本のリングからは去っていましたので、
  試合はビデオでしか見たことがありませんが、試合の写真や多くの書物で語られるエピソードに
  よって、その生真面目な性格が伝わってきました。

  試合の映像は、対ジャイアント馬場戦しか見たことがないですね。
 
  あとは、TVの特番でブッチャーと激しい頭突き合戦をしているところくらいでしょうか。
  やはり、ほとんどは写真で見ただけですね。

 
  韓国に戻ってからの大木さんは、まだ電気の通っていない地域に私財を投じて電気を引いたりして、
  地元の人々に愛され、尊敬される存在だったようです。

  大木さんの著書、自伝本はないのでしょうか? 
  もし韓国で出ているのなら、ぜひ翻訳して日本でも出版して欲しいです。


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  心より大木さんのご冥福をお祈りします。