この世の中、ある一定の時間を区切りにして、


良い事と悪い事の数が決まってるような気が


します。よくいう「人生楽ありゃ~」「七転び~」


みたいなのが世の中的にあるんじゃないかと。


極端な話、誰かの命が助かったけど自分の


何かを無くすとか。これは精神とか命に関わる


事じゃなく取り返しのつくもの。だから命には


変えられないので妥協も出来る訳で。。


昔から私は端から見ると損な部分によく見舞われる。


「1000人に1人の割合によくこういうアクシデント


があります」の「1000人に1人」によく当たる。


僧房弁閉鎖不全症もその一つだ。先天的なモノ


だから仕方ないですと医者に言われ手術を


受けICUから戻り毎日食べたモノを嘔吐する毎日


。社会復帰後、待ってたのは運転禁止の運送屋さん


だ。運転できない運転手ほど悲しいモノはない。


何かあっても運転手に頭を下げて走ってもらわなければ


ならない。


でもこれだけのリスクを私が背負う事で誰かが幸せ


になってると考えると釈然としない部分も正直ある。


しかしそれ以前私が幸せを感じてる時に誰かがリスク


を背負ってくれてた訳だからお互いさまなのかも。。


しかし病気や無力な社会復帰の中にもいい事もあった。


家族の有り難味を改めて知った。



運行管理資格(今回は駄目だろう(ノ_・。))や事務職


の知らなかった事と自分の可能性みたいなものが


垣間見えた。


逆に一番信頼してた人間は音信不通になった。



運転手達と違ったコミニュケーション


を取る事で違った信頼関係が築けた。


そうすると病気からの出来事は、これらの良い事


を差し引くとそう不幸ではないのかもしれない。


これもよく言う話だが「人生の中も良い事と悪い事


が均等をとっている。」とも言う。私は過去に良い事が


あんまり思いつかない。でも捉えかたで良い事に


なってきたのかもしれない。答え合わせはできないが。。


でも、自分のその不幸の部分が誰かに幸せとして


流れるなら、信じてる人や大事な人や好きな人に


流れて欲しいのが人情である。この時に普段の行い


や心がけで神様が幸福をその人達に流してくれるの


ではないだろうか。幸せとはそんな複雑なシステム


で構成されてるのではないだろうか。私は少なくとも


そう感じるのである。